いつもみなさん、ありがとうございます。
御本尊の表面に書かれている讃文について『御本尊七箇相承』には「仏滅度後二千二百三十余年」と書くべしとされているにもかかわらず、戒壇本尊には「仏滅後二千二百二十余年」と書かれています。この日蓮正宗の教義矛盾については当ブログで繰り返し指摘してきたところです。
「戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違」
これについて宗内は紛糾し、日開氏は小笠原慈聞氏に詰め寄られて「漫然と書写して誤った」といったん謝罪をします。
ところが小笠原慈聞氏らは昭和4年2月18日朝、阿部日開氏が六壷にて勤行を終えるのを待ち伏せして、この件についてさらに詰問するんですね。まあ小笠原氏も宗内の僧侶ではありますが、時の法主の日開さんをそこまで攻めるかと思うと驚きを禁じ得ませんね。
阿部日開さんはここで過ちを認め、訂正文を書くはめになります。
「御本尊二千二百二十余年並に二千二百三十余年の両説は、二千二百三十余年が正しく、万一、二千二百二十余年の本尊ありとすれば後日訂正することとする。依って弟子旦那は二千二百三十余年の本尊を信ずべきものである。
以上
六十世 日開 花押」
以上
六十世 日開 花押」
で、ここからは私の意見ですが、これは誤写というより、阿部日開さんの見解であったと思うんですよね。
そもそもこの当ブログで紹介しているように、戒壇本尊には「二千二百二十余年」と書かれています。実際『日女御前御返事』でも「二千二百二十余年」とされていますし(御書全集1244ページ)、日蓮自身の真蹟本尊中も「二十余年」と「三十余年」の二つがあることは周知の事実です。また日常門流には「二千二百二十余年」とする相伝も残されています。
ですから阿部日開さんはここであえて戒壇本尊にきちんと習って「二千二百二十余年」と書写したのだと私は考えています。
しかし事実は異なり、小笠原氏の批判を受け入れて法主が謝罪をする状況に陥ったのです。ここからわかるように法主無謬論というのはあり得ない論です。法主もまた一人の人間であり、批判されることもあり得るし、実際この阿部日開さんのような事例も過去に存在したということです。
御本尊書写の問題、そして戒壇本尊の相貌と『御本尊七箇相承』との相違点というのは、日蓮正宗が抱える決定的な矛盾なのであって、本尊についての教義さえ整理できずに広宣流布を語るなど噴飯ものであると私は思います。この問題を早めになんとかしないと、また同様の問題に日蓮正宗はぶつかりかねないでしょうね。