気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

創価学会内部の教義的な分裂について。






前回、正木正明さんの血脈観について少し書きました。


「正木さんの師弟観」


正木理事長はしばらくすると解任となり、参議会の副議長という事実上の更迭になります。
この伏線として、私は創価学会内部の教義上の対立がある気がしています。


今の原田・谷川執行部は東京大学出身で、いわゆる東大閥になります。それに対する正木氏は創価大学出身の創大閥。考え方も少し違うように感じます。


東大閥の原田さん、谷川さんの考えは創価学会から日蓮正宗の教義をできるだけ払拭しておきたいのでしょう。実際、国内の会員数はもはや頭打ちで、SGI組織を強めるという観点で考えれば、日蓮正宗の教義とりわけ日寛教学の見直しは喫緊の課題です。
だからこそ宮田幸一さんとかを前面に出して、日寛教学の見直しをはかり、教義的には身延山よりの汎用性の高いものにしておきたいと考えているのでしょうね。私の立場もどちらかといえば宮田幸一氏に近いので、それらは理解できます。


その一方であまりに急に組織を変えるのも問題であるというのもわかります。逆に組織の部員さんにきちんと教学を学ばせてこなかったツケがここに出ているとも言えますが、たぶん教学を急に変えても反発しか出てこないんですね。


その結果、今の執行部に反感を抱いて、やや原理主義的に日寛教学を堅持するグループ、そして昭和54年以前の池田会長を絶対視する池田思想グループ等が台頭してきているように思います。
彼らは原理主義的で、自分たちのように思考できないグループを内部の敵と見なします。例の内部告発の三人組も池田思想の原理主義的な考え方の持ち主でしょう。ほとんど52年路線そのままで「師匠の池田先生に信伏随従」とか言い出しかねませんものね。


私としてはどちらも一つの考え方や思想上の立場に過ぎません。だからこそ客観的な史料を冷静に分析することで、日蓮思想の実像を冷静に再構成することが大切かと考えています。宮田幸一氏を評価するのは学問的な観点で、客観的な史料を提示しているためです。
教義や解釈をぶつけ合うだけでは不毛な教義論争になるだけですので、「本来の日蓮の実像とは何か」という視点で客観的な史料を提示して解釈の普遍性を述べることでしか共通理解の土台は築けないのではないか、そんなことを考えているんですね。
私がこのブログ上で日寛教学の見直しや日蓮本仏論の廃棄を訴えているのは、客観的な史料を提示したらそう解釈するのが自然だと言うことです。
私の見解を覆すだけの史料や真蹟文献が存在するなら、その時は私の意見を変えればよいだけのことですから。


東大閥が強く出られる背景にあるものは史料の客観性と弘安2年戒壇本尊の信憑性の低さなのでしょうね。だからこそ正木氏を事実上の更迭に追いやっても遠藤氏と戦っても自分たちの方が真実であると言う自覚があるのでしょう。
逆に創大閥、日寛教学を絶対視し、師弟の血脈を絶対視する原理主義的な方々は、今までの創価学会の活動が正しかったのだから今までのものに帰るべきだと言う、やや感情論に陥りがちな感じがします。彼らには文証とか史料の提示ということにあまり関心がなく、あるのは過去の功徳の体験とか実感とかいった現証優先の、やや情緒論に走りがちな部分があるようです。事実、このように考えて池田氏を絶対視する原理主義者たちはツイッターアカウントの方々に多く見られます。ただ彼らには文献的に日蓮思想との整合性を証明しようとする意志がなく、あくまで池田氏との師弟の精神とか情緒論を主張するために、創価学会以外の外部の方からは客観性を持たず、狂信的に映る傾向があります。