気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

信仰と学問とは別とはどういうことか。





創価学会の方よりむしろ日蓮正宗の方に多いのですが、

「そんなこと言われても、学問的な研究と信仰は別の次元の話です。私は戒壇の本尊を信じますし、御法主上人猊下を信じます。」

と言われる方がいます。


別に信仰は自由です。
純粋な信仰心を持つことはまことに結構なことです。



しかしですね。私がここで書いていることはそういうことではないんですよ。
要するにどんなに取り繕っても偽物は偽物だし、偽作は偽作だし、嘘は嘘なんです。
嘘の教義とか偽物の本尊なんて信じるに足るんですか?ってことです。



例えば金メダルを勝手に偽造して「これが金メダルだ!」なんて騒いでいるようなものです。
金メダルは国際オリンピック委員会が作るから意味があるんでしょ。
要するに金で作られたらそりゃ金メダルは金メダルなんでしょうけど(笑)、それは本当に信頼性のおけるIOCのものなんですか?ってことです。




日蓮が作ったわけでもないものを日蓮真作と偽って、これこそが由緒ある「金メダル」だと言い張って果たしてその信仰は信頼性に足る日蓮の教えと言えるんですか?ってことです。



本来、教学というものはそれらを検証し、その確証を深めるためのものです。
ところが、教団が提示する教学と言うものが、真実を覆い隠し、信徒を騙し、嘘をついて、ただ信徒を隷属させるだけのものに過ぎないなら、いったい何のための教学なんですかね。


目を覚ましましょうよ。
教団に都合の良い教義なんて要りませんよね。
皆さん方は日蓮正宗のために信仰しているのですかね。
自身が幸せになるためだったり、より良い人生を生きるために信仰の道に入ったのではありませんか?



どこの誰が作ったのかわからない金メダルを金メダルだと信じて、創価学会は正本堂まで建ててしまいました。
もうそういうのやめにしませんか?
嘘はどこまで言っても嘘です。
嘘をついている教団についていくのも自由ですけど、何の誰の教えを奉じているのでしょうね。
日蓮正宗は自分たちの教団を仏扱いするどこかの宗教法人とレベル的に同じであることをよく知るべきです。
自分たちの思想の浅はかさに自ら気づくこともできず、自分たちの思想を振り返ることもできない。そういう姿勢を「盲信」というのだと思いますよ。
嘘を平気でついて、日蓮真作だと偽る嘘つきに日蓮を語る資格などありません。日蓮を歪める否定行為だと知るべきです。


そして日蓮正宗のもっと罪深いことは、論理的矛盾を指摘されても「私は間違っているかもしれません」と誠実に答えることができないことです。
間違いはどこまでいっても間違いです。
嘘はどこまでいっても嘘です。
真摯に論理的矛盾に向き合い、自身の信仰の姿勢を省みることこそ、信仰の真実の敬虔さなのだと思いますよ。