気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

五時八教について。





アクセスが増えてきてとてもうれしいです。
みなさん、いつもありがとうございます。



ところで天台智顗が釈迦の一切経の説かれた順番を、経典の内容から考えたのが「五時八教」です。
天台智顗の五時八教の教判によれば、釈迦の経典の説かれた順番は華厳→阿含→方等→般若→法華涅槃だそうで、それで無量義経に説かれた「四十余年未顕真実」の文から法華経が真実を説いた経典だとしたんですね。


で、これは現代においてすでに無効の教理です。意味なんてありません。
私にはこのことは当たり前のことでして論ずるまでもないと思っていますが、なんだか日蓮正宗の一部の法華講の方々はそのことを認めようとしない熱心な方も多いようです。




「五時八教」に則って、なぜ法華経が真実の教えとされるのか、簡単に書いてみましょう。


「四十余年未顕真実」という一文は法華経には出てきません。この一文は法華経の前に説かれたとされる「無量義経」に出てきます。
じゃ、なんで「無量義経」は「法華経」の直前に説かれたとされるのかって言うと、法華経の序品第一で釈迦が瞑想をしているんですけど、その瞑想の状態を「無量義処三昧」としているんです。だから「法華経の前に説かれたのは無量義経なんじゃないの?」ってことなんです。



こんな判釈、現代では何の意味もないってわかりますよね?
要するに漢訳仏典の内容から考えて、経典の説かれた順番を智顗が決めただけなんです。
天台の生きた時代のことですから、当然文献学の知識なんて一切入っていませんし、現代では漢訳仏典の全てが釈迦の滅後数百年後の成立であることはもはや周知の常識です。



つまり法華経は釈迦の説いた教えではないのです。それどころか全ての漢訳仏典が釈迦の説いた教えではありません。唯一、釈迦の教えの形跡を残すのはただ阿含経典部のみということです。原始仏典に一番近いのはスッタニパータになるわけですね。



ですからそのことをよく知った上で、なぜそれを信じるのかと自身に問うことが重要になるんですね。
私はナーガールジュナ以降の大乗仏教運動に思想的意義を認めていますので、その意味で日蓮の信仰を深めているだけです。法華経だけが優れた唯一の教えなんて思っていません。そんな考えをとること自体、非常識です。


僧侶の方は在家よりも仏典を研究することにかけて優位な立場にあるはずです。事実、立派な御僧侶様もおられることでしょう。
けれど現代ではもはや無効の教理に過ぎない「五時八教」を振りかざして、あたかも法華経が釈迦の説いた最高の教えであると主張するとすれば欺瞞も甚だしい。詐欺みたいなものです。在家が何も知らないとでも思っているのでしょうか。



創価学会も『折伏教典』とか小説『人間革命』とかで散々に「五時八教」説に依拠してきたではありませんか。挙げ句の果ては「五時八教」説に従って「四箇の格言」を金科玉条のように振りかざして他宗を排撃してきたのです。
それに対して池田名誉会長のかつての産経新聞でのインタビューにあるように「あの頃の創価学会は若かった」とか言い訳でもして正当化するつもりなのでしょうか。
そうではなくて、「あれは間違っていた」「私たちが悪かった」と素直に総括して認めるべきなのです。
創価学会の一番悪いところは、過去にあった自分たちに都合の悪いことに蓋をして、なかったことにしようとするところです。
「自分たちが間違っていた」と素直に言えない団体に未来を語る資格はないと思います。それこそ池田名誉会長の言う「歴史健忘症」なのではありませんか。



追記:1
日蓮は智顗の五時八教説を純粋に守っていたと思われていますが、実は日蓮は『守護国家論』の中で智顗説の五時八教の順番について「諸の大小乗経は次第不定なり」(創価学会版御書全集40ページ)と順番が前後して違っていることを認めています。
つまりこれは日蓮が智顗の五時説をとりながらも、歴史的な順番については未定であることを既に認知していたということを示していると言えます。
ここから考えると『一代五時鶏図』における諸経の配列に柔軟性がある理由もある程度解明される気がしますが、そういった思想的な再検討については日蓮正宗創価学会もやる気がないようです。


追記:2
最近多方面からいろんな反響を頂き、とてもうれしいです。ありがとうございます。今は周りの人にとても恵まれています。功徳という言葉はあまり使いたくないのですが、毎日が楽しく、いろいろ願いも叶っていろんなことが実現してきましたし、少なからず未活・非活の会員さんが興味を持って当ブログを読んでくださっているようです。
応援してくださる方々に感謝をしてまたいろいろ書いていきたいです。
批判される方も多いと思います。批判される方も読者の方と思い、感謝の思いで書き続けてみたいと思います。ありがとうございます!