『百六箇抄』は偽書と断ずべき材料が多岐にわたり、枚挙に暇がありません。
こんなものを『血脈抄』と呼んで有り難がっている日蓮正宗の信徒が可哀想に思えてきます。
同時に創価学会も『百六箇抄』を真蹟と判断している立場であったはずです。
それに対し総括もせず、臭いものに蓋をするようにダンマリを決め込むというのは、およそ宗教者としての誠実さに欠けると言わざるを得ません。
今こそ創価学会は過去を総括し、「池田会長が『百六箇抄講義』をしたことも、同抄を真蹟としたことも誤りであった」ときちんと認めるべきなのです。
弘安5年2月28日の『法華証明抄』(西山本門寺に真蹟現存。日興写本は大石寺に現存する)では日興を「伯耆房」としており(創価学会版御書全集1587ページ)、まだ弘安5年2月時点でも「白蓮阿闍梨」ではなかったことがわかります。
それが弘安3年とされる『百六箇抄』で「白蓮阿闍梨」と呼ばれるのは整合性が合いません。
したがって『百六箇抄』は後世の偽書です。
②六老僧について。
弘安5年に初めて定められた六老僧についての記述が加筆部分に存在しています。弘安3年とする『百六箇抄』の成立と整合性が合いません。
したがって『百六箇抄』は後世の偽書です。
③唯授一人の相伝ではない。
大石寺17世日精の『富士門家中見聞』によれば、正和元年10月13日に両巻の血脈抄をもって日興から日尊、日目、日代、日順の4人に相伝があったとされています(『富士宗学要集』第5巻、170〜171ページ)。
④鎌倉幕府からの寄進10万貫?
『百六箇抄』加筆部には以下のような記述が見られます。
「又延山地頭発心の根源は日興教化の力用なり、然るに鎌倉殿より十万貫の御寄進有りしを縁と為して諸所を去り遁世の事・甲斐の国三牧は日興懇志の故なり」
(『富士宗学要集』第1巻、22ページ)
したがってこのような加筆が次々となされてきた『百六箇抄』の信憑性は極めて低いと言わざるを得ません。
以上4点について触れましたが、これだけにとどまらず、『百六箇抄』を真蹟と判断するには多くの人が躊躇せざるを得ない材料がたくさんあります。
『百六箇抄』の欺瞞を認めることで初めて真の「祖道の恢復」なんて言えるんだと思いますよ。