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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

池田青年の入信の事実。




たぶん熱烈な創価学会員さん、もしくは池田名誉会長に対する純粋な信徒の方は、そういう純粋な心を持つ人ほど私の言葉を信じないと思います。



わかりますよ。
私もそうでしたから。



それは本当に純粋な心を持っている人です。
だからこそ創価学会の虚像を真実だと信じてしまうのです。その虚像を壊すようなものを決して認められないんですよ。
私はそんな方々を愚弄しているのではありません。その方たちは本当に純粋な信仰心を持つ人々なのだと思います。
私もかつてそうだったのです。
自分の信仰が純粋だったなんて偉そうに言えませんけど、純粋な方ほど創価学会の欺瞞性が見えなくなってしまうんですね。



そんな人たちは人間革命の叙述を信じて、例えば池田青年と戸田会長の出会いのシーンを神格化してしまうんです。
小説『人間革命』では蒲田の友人宅で戸田会長に折伏され、その場で入信を決意したことになっていますが、事実は違います。
昭和22年8月14日、池田青年は小学校の同級生である三宅ゆたか家の次女に誘われ、創価学会の集まりに参加しました。『週刊文春』昭和55年6月19日号によれば池田氏は彼女に好意を持っており、惹かれて出席したのだそうです。
その後、西神田にある日本正学館内の創価学会本部へ出かけ、5時間ほど折伏で締め上げられました。

この時の様子を池田氏は昭和30年頃のインタビューで答えています(小口偉一編「宗教と信仰の心理学」『新心理学講座』第4巻、河出書房、1956年)。


「そのときの話しというのはこうなんです。『これから先のこと、二十年先のことがわかるか。これから年とって、その先なんのため生きたかを考えることになるが、それならば今のうちに考えたらいいではないか。自分の宿命は自分でも知らないではないか。誰が援助しても、社会的に偉くなっても宿命だけはわからない。宿命は解決できるか、人生ひとたび死ぬではないか。苦しんで死ぬのではしかたない。この四つの全部がわかっていれば信仰の必要はない。わからなければ真面目に考えろ。信仰をしろ』というのです。
私はこれに答えられず、信仰すると答えたのです。それでお題目を唱えろということでしたが、はずかしくてしかたがなかったのです。友人は入信しないで黙っていました。それから御本尊をお下げするという話で、私は三十分ほどいりませんとがんばったんです。すると幹部がなだめて、むりやり私に押しつけました。」



池田青年の御授戒は10日後の昭和22年8月24日、中野の歓喜寮(後の昭倫寺)で執り行われました。この時の様子について当時の創価学会我孫子支部参事の瀬尾正吉氏は次のように語っています。



「堀米日淳師からよく聞かされたものだが、池田の御授戒は日淳師が住職をしていた中野の歓喜寮でだったんですね。池田は小平(注:小平芳平氏)に連れられて来たが、御授戒だけは受けたものの御本尊を受けるのはどうしても嫌だという。日淳師は仕方なく小平に持たせ、そのうち池田の気が変わるだろうからといったそうです。」



つまり池田青年は小平芳平氏折伏されたのです。昭和32年10月18日付の聖教新聞紙上で池田総務は以下のように語っています。


「私が信仰したのは、丁度今から十年前の八月二十四日です。…………折伏されたのは、前の本部です。前の本部は会長先生が事業をなさっていらっしゃった二階の八畳と六畳の二間でした。…………そこで多くの広宣流布の人材が毎日会長先生の御講義をきいたんです。私はそこで教学部長から折伏されたんですよ」



つまり要約すると以下のようになります。
「蒲田の友人宅」ではありません。
「戸田会長に折伏された」というのも事実とは異なります。
「その場で即興詩を読んだ」というのは嘘です。
「その場で入信を決意した」のも嘘です。




中野の歓喜寮(後の昭倫寺)で池田青年はご授戒を受けたのですが、御本尊を受けるのを最後まで拒みました。堀米日淳さんが困り果ててしまったんですね。
小口偉一氏の前掲書のインタビューによれば、御本尊をもらっても池田青年は仏壇にご安置なんてしていません。
しかし三日目に雷が鳴っておっかなくなった池田氏は題目をあげはじめるんです。
で、拝むとなんとなく一日安心感があったそうです。それで「拝むとこうなんだから信心は大事だなあ」と池田青年は思ったのだそうです。
このインタビュー中で「安心感」という言葉で語られているように、池田氏の宗教観というものは現実生活の中での便宜とか利益という宗教観を越えるものではなかったのです。



これらは私の父から聞いていた話とだいたい一致するものです。事実、池田会長は『人間革命』の描写が小説であり、フィクションであるということを聖教新聞紙上で述べたこともあります。
つまり入信の際の即興詩とか戸田会長との出会いもまた全て創作に過ぎないのです。



純粋な"池田門下生"ほど、これらの話をおそらくは信じようとしないでしょう。
しかしこれらは真実です。真実は一つしかありません。
私がこのことをあえて書くのはなぜか。それはどんなにきれいごとを並べても池田名誉会長が入信時の逸話を創作したことは結局欺瞞であり、権威の偽装に過ぎないということをここで明確にするためです。







参考文献:
小口偉一編「宗教と信仰の心理学」『新心理学講座』第4巻、河出書房、1956年。
溝口淳『池田大作「権力者」の構造』講談社+α文庫、2005年。
央忠邦『池田大作論』大光社、1969年。