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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

『百六箇抄』の問題点①「経巻相承」



『百六箇抄』は『本因妙抄』と並んで"血脈抄"と呼ばれ、日蓮正宗では最重要の相伝書とされています。
ところが、この『百六箇抄』の内容がトンデモない眉唾ものなんです。はい。
創価学会もかつて「百六箇抄講義」なんてのをやって、やたら有り難がった時期がありましたけど、今はすっかり忘れ去られて、なかったことにしたいみたいですね。
でもね、きちんとそのへんも総括しないと創価学会は教義的にまずいと思うんですよね。


例えば創価学会でよく使われる指導で「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」という御文がありますけど、これは正しく『百六箇抄』の文章です(学会版御書の856ページにあります)。
この点で突っ込まれたら末端の会員さんはなんて答えたらいいんですかね。未だに創価学会は『百六箇抄』を真蹟と判断して依文としていると答えるんですか?


具体的な『百六箇抄』の問題点、矛盾点はいくつも存在します。その中でも本日の投稿では「経巻相承・直授日蓮」をとりあげてみます。




或は又末代において経巻の相承直授日蓮と申して受持知識相承を破らんが為めに元品の大石・僧形と成つて日蓮が直弟と申し狂へる僻人出来し予が掟の深密の正義を申し乱さんと擬すること之れ有らん、即ち天魔外道破旬の蝗蟲なり上首等同心して之れを責む可き者なり。」
(『百六箇抄』、堀日亨編『富士宗学要集』第1巻21ページ、聖教新聞社


という文が『百六箇抄』にはあります。
ここで「経巻相承・直授日蓮」とあるのは日什による顕本法華宗のことです。
日蓮系教団のものなら周知のことですが、顕本法華宗とは京都妙満寺を総本山として日什によって開かれた教派です。
彼は日蓮門流の分裂を慨嘆し、『経巻相承・直授法水』すなわち「法華経日蓮の御書から直接教えを相承する」という教義を掲げました。考えてみると「御書根本」とか「信心の血脈」なんて言っている現在の創価学会の教義とさして変わらないように思えます。
日什は元は天台の学僧であり、彼は諸国を行脚する中で会津富士門流と出会い改宗します。ところが後に日什は富士門流の欺瞞に気づき、批判するようになります。彼の「経巻相承」という考え方もここから出てきたものであって、直接に日蓮の文献にあたり、そこから真実の信心を得ていこうとする考え方です。
つまり『百六箇抄』にある「経巻相承」の一文は、この日什門流に対する富士門流からの批判だと考えればいたって自然です。



ところが、日什が妙満寺を創建したのは1389年のことです。いくらなんでも日蓮滅後(日蓮は1282年の入滅)、100年以上も経ってからのことを日蓮が書けるはずがありませ〜ん☆
日興と日目が亡くなるのは1333年です。第2祖と3祖が亡くなってからも50年以上が経過しています。




まあ日蓮正宗の方は「経巻相承・直授日蓮」は「大聖人様の深深のお考えがあってのことです!」「我々信徒には及びもつかないお考えがあったはずです!」なんて強弁するのかもしれませんけど(笑)、みっともないからやめたほうがいいですよ〜☆
これ、だから『百六箇抄』って偽書なんですって!  いいかげん素直に認めたほうがいいですよ〜。明らかに顕本法華宗のことをここで書いてしまっているじゃありませんか。こんなもん、後世の創作に決まってますっ!



しかしこれに対する反論もあって、例えば引用の「経巻相承」の部分は後世の加筆であって日蓮真筆ではないと言う人もいます。
そう、その反論、待ってました!(笑)
確かにそうでしょう。私もそう思います。実際、大石寺59世・堀日亨氏は引用の部分に二重線を引き、後人の付加としていますし、実際当該の箇所は創価学会版の『御書全集』からは削除されています。
けれどもね、よーく考えてくださいよ。
もしそうだとしたら、一体、誰が何の目的で相伝書と言われるような重要な文書に加筆したんですか?
そもそも血脈抄と呼ばれるようなこれら相伝書は、一般の目に触れられるものではなかったはずです。それらに加筆できる立場にあるのは、日興門流のそれなりの位置にある僧しか考えられないでしょう。
となると、富士門流に疑義を唱えた日什に対する反論、そして自分たちの正当化のために、富士門流が"日蓮を騙って"この相伝書に加筆したと考える方が自然ではありませんか。
どこの誰かは知りませんが(推測はつきますが・笑)、開祖の日蓮を"騙って"加筆し「相伝だ、血脈だ」とさも有り難がって『百六箇抄』を祭り上げてきた宗派など信用できるはずがないじゃないですか。



ですから創価学会がかつて『百六箇抄講義』とか言って、さも日蓮思想の深い内容があるかのように言ってましたけど、それらも全て間違いだったってことです。
だいたい今の創価学会の執行部の方たちの多くが当時の池田氏の『百六箇抄講義』の受講生の方々なのではありませんか?
当時はとても深い内容だと思って講義を受講していたんじゃありません?
みーんな嘘です。こんなもん、日蓮が書いたものでも何でもありません。
日蓮が自分が死んだ後、100年後に誕生する教団のことを書くわけなんてないじゃありませんか? 予言だとでも言うんですかね。



本日は「経巻相承」の件だけをとりあげました。実はこの『百六箇抄』にはまだまだたーくさん問題点、矛盾点があります。
私は別に今回の「経巻相承」の件だけで、この御書を問題視しているわけではなく、問題点は実は山ほどあります。
続きはまた少しずつ書いていきますのでお楽しみに。日蓮正宗の方も全ての矛盾点、問題点についてきちんと認めるべきだと思いますよ。日蓮正宗は教義的には、日蓮系教団から失笑の的になっているということをもっと自覚すべきなのですからね。