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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

物神性。

私が創価学会日蓮正宗も散々に批判しながら、それでも日蓮の信仰を保持する理由は、自身の信仰心にあるとも言えますが、それよりも私自身、人間の本質は宗教的であると考えるがゆえなのです。



例えばただの紙切れでしかない一万円札を妙に有り難がって財布の中にきれいに揃えておく、日本人の習慣は非常に宗教的であると思います。
つまり物神性とかフェティシズムというものを抜きにして人間を語ることは不可能なんですね。
お札に価値があると考えるのは日本特有の現象でして、例えばフランス人などはピンでお札を留めてもグシャグシャにしても全く気にしないと思います。事実、アメリカの映画などでもポケットにグシャグシャに入ったお札を広げて支払う姿などを見た人も多いことでしょう。


それらは人間の本質が物神性に根ざしていることの証明です。しかしながら別段それは何か組織に入らないと身につかないものではありません。
確かに一つの宗教組織にはそれ独自の世界観が存在し、独自の宗教的物神性の体系が存在するでしょう。
問題はそれが信じるに足るかという点にあります。信じるに足ると考えればそれは信じればよいのです。


創価学会日蓮正宗から破門され、独自で日寛書写本尊を頒布し始めたのは、日寛が元来日蓮正宗貫主であり、また創価学会の教義的にも「信じるに足る」と学会が当時判断した人物であったからです。
では、日蓮正宗から破門され、会則の変更で弘安2年本尊の受持を前提としない現在の教義において、果たして現在もなお日寛本尊は「信じるに足る」本尊なのでしょうか。



そういった説明が全く会員にされず、たんたんとわけのわからない会則だけが改正され、微妙な問題には目を塞ぐ今の創価学会執行部の姿勢は真摯な態度に欠けますし、会員に対して失礼ですね。


信じるに足ると判断するのは自分の心です。ただきちんと検証しなければそれらは盲信に堕する可能性を常に有しています。だからこそ自分の頭で考え、発言し、行動することが重要でしょう。
考える材料がなければ、いいように特定の宗教団体に洗脳され、都合の良いところばかり見せられ、微妙な問題には目を塞ぐ思考法になってしまいます。
カール・マルクスが言ったように「全ては疑い得る」のです。






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