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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

現在、創価学会の活動に疑問を抱いている方へ。

現在、創価学会の活動に疑問を抱いている方へ。




悪いことは申しません。黙って活動からドロップアウトしてください。
幹部からの電話は出ないでください。大丈夫です。向こうもそのうち諦めます(笑)。メールにも返信しないで構いません。
大事な会合であったとしても参加しなくて大丈夫です。大事と思っているのは自分だけで、創価学会員の活動家はさして「大事」とも思っていませんよ。
財務の振込用紙が来ても別に振り込まなくて構いません。何も言われませんから安心してください。私は何も言われませんでした。
手紙が届いても読まないでいいです。さっさと捨ててください。
学会幹部が家庭訪問してきたら、とりあえず会わないでください。会わないというだけで次第に自然に疎遠になれます。
偶然に道端等で会ってしまって向こうが話しかけてきたら、簡単に会釈してその場を去ってください。そのうち向こうから声をかけることも減ってきますから。


聖教新聞を止めるには配達員に電話するか、取次店に電話するのがいいかと思います。電話しやすい方へ。バリバリの活動家でしたら、新聞を止めるのは後回しでもいいかとは思いますよ。


御本尊についてはどう扱うかは自由です。
巻いてどこかにしまっても構いませんし、学会の会館のポストにでも返してもいいとは思います。燃えるゴミで出しても何も起こりませんから安心してください。そんなたいそうな御本尊でもありません。ただのカラーコピーです。創価学会はご供養と称して3,000円で販売しているだけです。罰なんか出ません。ちなみに弘安2年の戒壇本尊に「若悩乱者頭破七分」という文字は刻まれていません。罰があると勝手に思っているのは自分の心の問題に過ぎません。


日蓮正宗の方々が寄ってくるかもしれません。彼らは善意からやってきます。その善意はありがたいのですが、相手にしないでよいと思います。彼らは日蓮正宗の欺瞞性について理解しようとはしません。それにこちらから議論しても返って彼らの信仰を揺るがせてしまいます。ただ困らせるだけなら波風立てない方がいいかもしれませんね。
信仰は本来自由ですし、それらを信じて幸せな人生を歩む権利も彼らにはあるはずです。私は全然共感しませんが、共感する方は日蓮正宗に入られても別に構わないと思います。


学会の幹部がどんどん家庭訪問してきて、まだ落ち着かないという方は、学会本部へ退会届けを郵送してください。配達証明か書留がよいかと思います。書式はなんでも構いませんが、郵送する前にコピーをとっておくとよいです。学会本部の原田会長宛に配達証明で退会届けを送っただけでも、現場の幹部は家庭訪問しづらくなります(かつて活動家の私がそうでしたから間違いありません・笑)。


それでも家庭訪問してきて帰ろうともしないストーカーのような学会員もいるかもしれません。あまりに悪質な幹部についてはインターホン越しで構わないので3回以上「帰ってください」と向こうに伝えてください。3回伝えてそれでも帰らない場合は迷わず警察に電話してください。その際に大事なことは「『帰ってください』という旨をすでに3回以上伝えたにも関わらず創価学会が未だに帰ろうとしない」と警察に電話で伝えることです。警察の対応は少し変わるはずです。



座談会に出なくても罰はあたりません。安心してください。
活動家さんは活動家さんで、宗教的信念を持ってやってることですけど、彼らは彼らに過ぎません。放っておいてください。
日蓮の信仰を続けたかったら題目でもあげてください。日寛の御本尊に向かって題目をあげなくても構いません。『唱法華題目抄』には「道場を出でては行住座臥をえらぶべからず」という一文があります。仏壇の前に端座する必要も別にありません。日蓮がそう書いています。寝ながら題目をあげても別に構いません。


自分がどんな信仰をしたいのかは自分の自由です。誰に惑わされる必要もありません。自身で思うことを自分らしく求めてください。日蓮から離れたいなら離れても構いませんし、別に罰は出ません。安心してください。


信仰は組織に依拠して行うものではありません。人々の心を自由にするものが本来信仰です。自分の心を信じてください。


私がこのブログで書いていることは私の思いであって、そのように同じように思えなくても別に全然構いません。自分らしく信仰を貫いてください。嫌なら信仰から離れるのも自由です。私を批判して私のブログから離れるのも自由です。それらは一切自由です。どうしようと何をしようと罰は全く出ません。安心してください。全ての人が日蓮門下である必要などありません。



私はどんな宗教もどんな信仰も否定しません。何を信じるのも自由です。ただ信じることは人間の本質に関係してきます。自身が自分らしく信じるに足る何かを信じて楽しく生きていきましょう。私は私らしく日蓮の思想を求めていきたいと考えています。別に日蓮の思想から離れたとしても罰なんか出ませんよ。宗教が嫌ならそこから離れてくださいませ。


最後に一言。どうか創価学会の活動家に対しても日蓮正宗の活動家に対してもできるだけ悪口は言わないでください。
彼らは彼らで真剣にやっています。そういう幸せもあることは認めましょう。
けれど彼らを口汚く罵るだけの人間であってほしくはないです。それでは退会者を反逆者呼ばわりして悪口の限りを尽くす一部の悪質な創価学会の活動家と大して変わらないではありませんか。
悪口を言うだけの人間に私はなりたくありません。
彼らとは生き方が違うのです。それはそれで構わないではありませんか。
彼らが自分のことを求めてきたら、その時は助けてあげれば良いのです。
組織に依らず、信仰をするということはそんなに難しいことでもありません。ただ難しいと勝手に自分が考えているだけなのです。


日蓮は一切の権威を頼りませんでした。比叡山にも依らず、政治権力におもねることもしませんでした。
日蓮の思想には五時八教への過信等、現代では無効な教義があります。日蓮の思想は完璧ではありません。しかしながら、日蓮が自身の時代背景の中で、釈迦の本来の思想を求め続けたことは事実です。
私は日蓮のような信仰心を持ち続けたいと思います。それは一切の既成宗教の権威にも依らないものです。
あなたはどうでしょうか。どうするのも自由です。サルトルは「人間は自由という刑に処せられている」と言いました。人は自分で自由を選び取ることができます。「自由」というものは本来18世紀末のフランスで生まれた概念です。放縦とか勝手という意味にとらないでください。自由とは自ら選び取ることであり、自らの意志で決定をすることです。その責任は自分にあります。責任を組織に持ってもらうような組織信仰に日蓮の心があるとは私はどうしても思えません。