気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「法華経は諸経の王」ではない。






法華経は諸経の王である」と創価学会日蓮系教団はよく言いますけど、その主張の根拠は薬王品や法師品の中の経文、そして天台智顗における五時八教の教判にあります。
この教判は天台智顗が漢訳仏典を丹念に読み、仏典の整合性と統一を目指して説いたものです。確かにその熱誠は感じますが、大乗非仏説が一般的になっている現代においてはその有効性は存在しません。



そしてこの五時ハ教の教判によって法華最第一を主張したのが天台宗でした。
日本天台宗において法華最第一を金科玉条のように振りかざし、南都六宗を批判してきた歴史は総括されなければならないでしょう。
ところで最澄の教判に対して反論した法相宗の大家に徳一という人物が知られています。徳一は終生、最澄との法論を続けましたが、最終的に両者の和解には至っていません(この二人の論争は「三一権実諍論」として知られています)。反面、空海と徳一との関係は書簡の内容からも良好であったと考えられ、両者にはお互いへの敬意があったようです。


最澄は晩年の『法華秀句』において徳一への批判を強めています。つまり最後まで徳一と最澄との和解は成立していないと言えるでしょう。


そして後に天台宗に何が起こったかと言えば、宗義の分派、分裂です。本来法華経には即身成仏に至るプロセスが説かれてはいません。即身成仏という概念は空海の『即身成仏義』における造語であり、本来なら『秘密曼陀羅十住心論』及び『秘蔵宝鑰』における十住心を読み合わせなければならないはずです。


円仁と円珍によって天台にもたらされた密教台密と呼ばれますが、これは大日如来と釈迦が本質的に同じものであるとします。この思想的な陥穽は、天台智顗及び最澄が「法華最第一」を主張したことによる法華経最第一説の縛りであったと考えられます。
密教経典の成立は法華経よりも後のものですし、大日経にせよ法華経にせよ大乗経典は釈迦の滅後の成立です。五時ハ教という教判で判釈できるものではありません。そもそも法華経は成仏に至る過程が論理的に書かれてはいませんし、非論理的な主張がされる経典です。そのため天台宗では即身成仏の義を認めるために諸法実相を「一念三千」とする解釈がされたのです。
ですから空海の『秘密曼陀羅十住心論』では天台宗を8番目の一道無為心に配しています。その上の9番目に極無自性心を配し、天台よりも華厳経を上に配しているのです。確かに天台宗の性具説よりも華厳経における性起説の方が衆生の中により円満な仏性が備わっていると読むことができます。




南都六宗との争い、そして比叡山内での分派の争いは不毛なものであったと思います。
そしてその原因こそが「法華経最第一」という思想にあったことは否めません。つまり最澄以降の日本の天台宗にせよ、日蓮にせよ、彼らがやってきたことはどのように「法華経最第一」によって他宗を批判し、「法華経最第一の思想」を論理的にどう論証するかということだったのです。



私は「法華経最第一」の考えは否定されるべきだと考えます。
法華経は諸経の王である」とする独善的な主張は、他の仏教教団との確執を深めるだけでなく、自教団の思慮の浅さを自ら暴露しているに等しいのです。
五時ハ教の教判を信用して法華経最第一とするなんて時代錯誤も甚だしいですね。


もし現代における日蓮の有効性を考えるのであれば、それは日蓮末法衆生に止観の修行のために方便として曼陀羅を考えたということであり、その曼陀羅によって諸経の再統合を計り、整合性を保とうとしている部分です。
日蓮の他宗批判は法華経最第一とした最澄の思想的な限界でもありました。しかしながら日蓮曼陀羅において諸経が包摂された世界を見ているのであり、それらを一念三千の運動として見る時、初めて他宗との対話の可能性が開けてくると私は考えています。