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創価学会の非活メンバーによる語り

事の一念三千のこと。

事の一念三千のこと。


ちょっと調べてみたんですが、やっぱり「事の一念三千」という用例は、日蓮の真蹟遺文中には存在しませんね。



「事の一念三千」という用例が見られるのは『諸法実相抄』と『義浄房御書』ですが、どちらも真蹟は存在していません。
「事の一念三千」という用例が多く使われるのはやはり『御義口伝』と『御講聞書』で、これらから推測するに、「事の一念三千」という用語は日蓮本人より門下から使われ始め、解釈され出した表現なのかもしれません。


『御義口伝』『御講聞書』はもともと講義録であり、日蓮真蹟とすることはできませんが、『註法華経』をもとに日向、日興らに日蓮が講義をした事実はあったかと思います。
もともと一次文献として扱えない『口伝』ですが、「事の一念三千」概念が口伝や講義の形で伝わった可能性はあるでしょう。というのは「事の一念三千」の用例は『御義口伝』と『御講聞書』の両方に見られるからなんですね。



興門流や延山系のどこかがたとえば自山の権威のために『口伝』を"偽作"したと仮定して、その場合、自分たちのオリジナリティを主張するような内容になるかと思うんですね。
けれど「事の一念三千」の用例はこの二書で両者ともに見られます。
ということは、日蓮の実際の講義の中で日興にも日向にも「事の一念三千」あるいはそれに近い概念が語られたのだと考えられます。
まあでも「講義そのものがそもそも無かったんじゃね?」と疑うこともできますが(笑)、『註法華経』には講義を実際したような跡が伺えますので、やはり日興や日向に対するなんらかの口伝や講義は存在したのではないかと私は考えています。



そして日蓮滅後に「事の一念三千」という言葉が門下たちによって別の解釈を持つようになってきたと考えられます。
天台智顗の一念三千が妙楽湛然によって、法華経の極説とまで持ち上げられてしまったことに近いのではないかとも思っていますが、この辺は私の妄想の域を出ません。



日蓮の一念三千概念の摂取は智顗よりもむしろ湛然の『止観輔行伝弘決』によるものですから、法華経の極説こそが「文の底にしづめたり」とされる「一念三千」であると日蓮はしたわけですね。
この一念三千がこのように概念化されて、タームとして使えるのは湛然由来です。
そう考えると、私がやろうとしている一念三千解釈というのは、本来の智顗の姿に一念三千を返そうという運動なのかもしれません。




日蓮自身が一念三千を教理化したものとして扱い、智顗が持っていた運動態としての一念三千を理解していなかったとするならば、日蓮から私は離れるべきかと思います。その概念化・固定観念化こそ教学の形骸化を生む全ての元凶であると考えるゆえです。
しかしながら、私は日蓮自身が智顗の持っていた一念三千の運動を理解しており、それをあえて曼荼羅という形で固定したとする仮説を立てています。その仮説の上で私はいろいろ検証してみたいんですね。



智顗は『摩訶止観』の正修止観章において

夫れ一心に十法界を具す。一法界に十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば、百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千、一念の心に在り。若し心無くんば已みなん。介爾も心有れば即ち三千を具す」

と述べていますが、これを湛然は

「当に知るべし、身土一念三千なり。故に成道の時、此の本理に称ふて一身一念法界に遍ねし」

と解釈するんですね。
つまり天台門流では智顗が文の表面に説き表さなかったことを、湛然が顕して教理化したという風に私は理解しています。



そもそも私は「一念三千」を固定された常住の法とは考えていません。本来、一念三千は原理です。
一切の諸法は過ぎ去るものであり、万物は過ぎ去るというのが釈迦の教えでした。
一切の固定化を否定することが仏法の本質であることを私はナーガールジュナから学んだわけで、そのような解釈の運動態として一念三千を考えています。
日蓮は湛然解釈で智顗の一念三千を摂取し、それを即身成仏の種子としました。
元来、一念三千は私たちの主体と環境世界とに関わる記号体系の根底的否定を孕んでいます。そのような止観を黙して座して観ずる修行は末法衆生には適応しないと日蓮は考え、修行の対境として曼荼羅を顕したのだと思っています。


まだまだ検証が必要な仮説に過ぎません。
検証の結果、日蓮の一念三千理解がただの教理化・固定概念化に過ぎない浅薄なものだったとするなら、それらはきちんと認められなければいけないでしょう。
実像に迫るということ、真実の前に目を開くことこそが私たちの一番大切な視点であり、それこそが日蓮が私たちに残した最も大きな遺産なのではないでしょうか。