気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『一代五時図』のこと。

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『一代五時図』(あるいは『一代五時鶏図』)として知られる遺文は複数存在します。真筆が残るのは寡聞にしてよくわからないのですが、実際には9編遺されているようです。うち真蹟が存在するのは6編であり、残りの3編は本満寺所蔵写本と録外に収録されています。



創価学会版の御書全集では、真蹟の残る『一代五時(鶏)図』が3編収録され、加えて学会版では『釈迦一代五時継図』『一代五時継図』『和漢王代記』が収録されています。このうち
『釈迦一代五時継図』『一代五時継図』は真蹟不存、『和漢王代記』は真蹟が西山本門寺に現存します。



なぜここで『一代五時図』についてとりあげたかというと、創価学会ではほとんど取り上げられることのない御書で、ほとんど誰も知らない、見たことも聞いたこともないというのが実情なんです(笑)。御書に載っているのに誰も読もうとさえしないのは噴飯ものですが。
加えて『一代五時図』は、日蓮が弟子たちに自身の思想の教判を講義したものです。実際西山真蹟現存の『一代五時鶏図』は弟子たちにそこで実際に講義した内容、筆致を伺うことができます。



これら『一代五時図』の教判は権実相対までを述べており、ここの図録と講義の意図は法華経最第一を弟子たちに教えることにあったということです。つまりこれらから創価学会内ではあまり注目されないということになるのでしょう。法華経の迹門本門の相違などは述べられていませんからね。


ただだからこそ今、この『一代五時図』を再考する必要性を同時に感じてもいます。
『一代五時図』は門下育成のための基礎教材としての役割として大きな位置を占めていたと私は考えています。実際、日像には『五時図』という著作が存在しますし、また日向は『金綱集』中で『一代五時図』に記述にしたがって各宗要を述べています。その他にも中山3世日祐の『問答肝要抄』など、門下の著作に『一代五時図』が影響を与えていることはよく知られていることです。
ここからわかるのは、『一代五時図』が門下のための教育的資料であって、弟子たちはここから基礎を学び、この上に様々な教理を肉付けしていったということが推測できます。『釈迦一代五時継図』は真蹟が存在しませんが、これは弟子たちが日蓮の講義を基にして創作されたとも考えられています。




内容的にも再検討、再考の余地が大いにあるものであって、例えばここでは基本、法華経と権経の教判までしか説かれていません。また真言について方等部に配していたりと、教判として全てが一貫しているとは言い難い。
ですから日蓮門下を名乗るものは、この『一代五時図』の教判をどのように教理の中に位置づけるのかというのは、意外と重要な問題なのだと思うんですね。



釈迦の本来の教えを復興させた、最澄の後継者としての日蓮を求めるならば、権実相対までが説かれたという『一代五時図』の解釈でよいかと思います。
けれども、もし創価学会が今後本門迹門の相対、そして文底の下種仏法等を日蓮遺文から基礎づけるならば、これら『一代五時図』の解釈をどのようにするのかという点は問われてくると思います。
確かに歴史学的に五時八教の教判は有効性を持たない天台の教理ですが、少なくとも日蓮はそれをとっていたわけで、それをどのように考えるのか、ここで権実相対以上が説かれないのはどういうことなのか、浄土三部経典や大日経を方等部に配するのはどういうことなのか等、様々な諸点について整理することは意外と重要です。



まあ教学にあまり関心がなく、三代会長で信徒を引っ張る創価学会は、そんなことをやろうとは考えないのでしょうけどね。
だからこそ、これら一連の『一代五時図』について、ほとんどの創価学会員は内容を知らないというのが実情なんです。
こういったことについて考えようとする創価学会員は皆無です。
真摯に御書をまともに読もうとしていない創価学会に、仏法の未来を語る資格はないと私は思います。