気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「池田先生」への手紙。










池田先生、
あなたはかつて「人生の最終章が大切である。最後に勝てばよい」という趣旨の指導をされました。
今、「人生の最終章」なのではないでしょうか。
この時に、今の創価学会の行状に何も言わず、沈黙を続け、容認することは果たして「人生の最終章において勝利する」ということと同義なのでしょうか。



池田先生、
2010年以降、もはや人前に出ることすらなくなり、人前でスピーチもせず、メッセージや書籍は代筆任せになってしまった今、こうして静かに余生を過ごすことが「勝利する」ということなのでしょうか。
ありのままの姿を見せて、一兵卒として戦うことこそが創価学会員のあるべき姿なのではないですか。



池田先生、
実証をもって、現証をもって語るということを私はあまりしたくはないのですが、
90歳を越えてなお矍鑠としている阿部日顕氏、そして再婚までした竹入義勝氏。
それらの姿に比べて、池田先生はどうしたのでしょう。
あなたは「所詮現証に過ぎず」と言われていたではありませんか。
人前に出ることができないというのは一つの現証なのではないですか?



池田先生、
なぜ発言をしないのでしょう。
健康状態についても、
自身の思想についても、
創価学会の現状についても、
真実を語らないことは悪への加担だと、
あなたはかつて仰っていました。
ならば語るべきではありませんか。



池田先生、
なぜ過去について頑ななまでに沈黙を守るのでしょう。
公明党集団的自衛権容認について、かつてあなたが対談したヨハン・ガルトゥング氏とも同意見で、認めない立場であったはずです。
ガルトゥング氏が語りはじめている今、あなたの発言こそが待たれているのではありませんか。



池田先生、
なぜ真実を隠し続けるのですか。
シアトル事件裁判では創価学会側の写真偽造が明確になってしまいましたよね。
かつてあなたは「弘安2年の大御本尊が根本であることは少しも揺るがない」と言われていましたよね。
かつてあなたは「悪に対して沈黙することは悪に加担することになる」と言われていましたよね。

昭和54年の問題で、宗門が問題にしたのはあなたの52年の一連の発言であり、いわれなき中傷や攻撃ではありません。だからこそその責任を取ってあなたは会長を辞任したはずです。

それなのに、なぜあれが「宗門僧侶からの攻撃」であったとするのでしょうか。



池田先生、
青年部がいなくなった創価学会はもはや歴史的役割を喪失したのではありませんか。
結果、創価学会は官僚化され、形骸化されてしまったのではありませんか。
あなたが関西の指導の折にマックス・ヴェーバーの『宗教社会学論集』を繙読したと書かれていましたが、
それならば、今の現状に対して、何か語るべきことがあるのではありませんか。
それとも『若き日の読書』もまた代筆なのですか。



池田先生、
あなたの思想に日寛教学はなくてはならないものになっています。
しかし今こそ日寛教学から離れるべきなのではありませんか。
宗門から離れたのに教学は宗門の借り物で良いのでしょうか。
その過去の総括を今こそすべきなのではないですか。




池田先生、
たくさん財務でお金を出すことが正しい仏道修行なのですか。
もうこのような財務はやめにしませんか。
もう創価学会もあなたもたくさんお金を得たではありませんか。
目的もなく、意義もなく、なぜお金だけを集めさせるのですか。



池田先生、
「私の生涯最後の事業は教育」と言われていましたが、
あなたは若き弟子たちを育成できたのですか。
すべて昭和54年前後に自ら切ってしまったのではありませんか。
あの頃、数千人単位で本門の弟子たちを任命されてましたが、彼らを弟子にしたのは間違いだったのですか。
間違いだったのなら、今こそ教育に取り組むべきなのではないですか。
青年部が集まらないのはどうしてですか。
池田先生の教育がうまくいかないからですか。