気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

歴史的役割の終わり。




創価学会を退会した方たちが、多く日蓮正宗に戻って、精神的に安心した日々を送るということは非常によく理解できます。



だってもともと創価学会は、日蓮正宗法華講連合会の一員だったわけですし。
教義的にも日蓮正宗が本来の教義でしたから、懐かしさを覚える会員も多いんじゃないでしょうか。
それに正本堂建立を果たしたのは、やはり弘安2年戒壇本尊への信仰心があったからであり、また参詣したいというのが、正直なところなんじゃないですか。




しかしですね。
創価学会がここまで落ちぶれてしまった。そのことは元の思想が結局浅はかだったということだと思います。
そして、それは日蓮正宗にも言えるんじゃないのかなと。
別に日蓮正宗に怨みはありませんが、現在の日蓮正宗の教義は日寛によって形成された後世の創作であり、日蓮の思想とは関係ありません。そもそも日興は『三時弘経次第』から判断するだけでも本仏は釈迦だと考えていますし、日道は『三師御伝土代』で弘安2年本尊について言及していない。日蓮本仏論の萌芽は日有から出てくるものですし、戒壇本尊への具体的な言及はそもそも日精から出てくるものです。そしてそれを現在の形まで具体化した最初の人は日寛であります。それらは日蓮の思想でも日興の思想でもなく、後世に作られた創作の教義です。
だから結局、日寛に返ったところで、その元の思想の底の浅さに気づかなければダメですよってことです。
日蓮正宗の方はなかなかこのことを認めようとしません。早く気づいて目を覚ますべきだと思います。



厄介なことは、昭和30年代から50年代くらいまでに、社会の底辺にあった貧困層創価学会が拾い上げてしまったという歴史的な事実です。
本来、左派系政党組織などが果たすべき社会的役割を、創価学会が実質的に担ってしまった。そして強い結束力のある自助組織を作りあげてしまったんですね。



そこにルーツがあるから、創価学会の古参の多くの会員は自分たちが正しいと考えています。実証を示して貧しい人々を救ってきたからこそ、自分たちの教えは正しかったんだと。



けれど、もう創価学会はその歴史的役割を終えました。そろそろ役割を終えて、消え去る時です。
余談ですが、55年体制以降、日本憲政史に大きな影響力を与えてきた日本社会党は、村山政権では社会民主党に名前を変え、自民党と連立政権を組みます。
その後、同党は急速に党勢が減衰し、今や風前の灯火となっているのは、社会党という政党がすでに歴史的役割を終えてしまったからです。



そして創価学会も同じです。
もはや歴史的役割を終えました。
創価学会とは昭和30年〜50年代頃まで起こった一つの社会的運動の一種だったんです。
残っているのは、団塊の世代を中心に一生懸命に組織維持にやっきになっている、惰性の姿に過ぎません。
海外組織がどうかは知りませんが、少なくとも日本の創価学会組織は10年も経てば破綻します。



そんな一時代の社会の運動に過ぎなかった創価学会の思想は結局のところ、底の浅いものだったと知るべきです。
そしてそれはまた同時に日蓮正宗という宗門の教えもまた底の浅いものであったということです。
創価学会に失望して日蓮正宗に戻っても、根は同じような思想に過ぎません。神秘的な教義を振りかざして、弘安2年本尊を自宗の権威づけに使い、信徒を欺く日蓮正宗に入り直しても、また元の底の浅い思想に返るだけです。
まあそれでも過去に安住して、安心したいというなら、それはそれでもいいんでしょうけどね。
日蓮正宗日蓮滅後、後世に創作された宗教であって、日蓮や日興の思想とは何の関係もありません。相伝があるとか勝手に主張しているだけです。それを信じて救われるのも自由ですけど、日蓮とは全くかけ離れた異流儀です。



本来、宗門から離れた創価学会がやらなければいけないことは、新たな思想の確立です。
いつまで経っても、日寛の古い時代の遺物のような教義をありがたがって、元々の創価学会の思想として再構成しようとしてみても、底の浅い思想にまた返るだけです。で、また御本尊とは何ですかと聞かれたら「生命」とか「宇宙に常住する法」とか言い出すんでしょ? わけがわかりません。
そんな意味不明の生命の法が日蓮の教えだとする組織に、若い世代の人たちが入信したいなんて思いませんって。



だからこそ過去を総括して反省し、自分たちの教えがいかに浅薄なものであったかに気づき、思想の再構築をしなければならないはずです。
なのにそれができない。つまり創価学会は自分たちが間違っていた、浅はかだった、嘘をついていたという、過去の反省ができない人たちなんです。それをしてしまうと会員が動揺してしまうということがその言い訳です。
だから他者のせいにするんですね。日蓮正宗を目の敵にして、反逆者を作り上げ、自分たちこそが正義であると捏造する、そんな組織です。



けれど、そんなことで動揺してしまうような信仰って何なんですかね。
全く疑うことをしない盲信の信者などは論外ですけど、そのような過去の反省を乗り越えて、新しい思想を構築する意志を持ってもいいんじゃないですかね。



その思想の再構築の際に、もう日寛なんて要らないでしょ?というのが私の主張です。
結局、創価学会の思想が浅薄だったんですけど、日蓮正宗の教えもまた浅薄なものに過ぎなかったわけですから。



創価学会の今後の選択肢としてはどれかでしょうね。
①お寺の信心に戻って安心する。
②総括して日寛を棄てる。
③総括して日蓮から離れる。
④総括して牧口から離れて、教団名を変える。




日蓮正宗の信徒の方は、お寺の信心が絶対ですから、それで安心したらいいんでしょうね。
ただ日蓮の教えでも日興の教えとも異なった教えであり、中古天台の口伝法門と保田妙本寺系、京都要法寺系教学を利用して創作された別の教えです。
日蓮の思想とは何だったのか、そういった問いを発さない人には居心地の良いところでしょうね。
日蓮を用いながら、日蓮を正しく知ろうともせず、逆に権威化の道具として日蓮を利用している。日蓮正宗とはそういう団体です。