気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

開目抄

『開目抄』という御書は佐渡において著されました。これを日蓮は間違いなく遺言として書いています。恐らく極寒の地である佐渡で生きられるとは思ってなかったのでしょう。
『開目抄』前半を読めばわかりますが、日蓮自身が自分のやってきたことに対し悩み、苦悩しています。自分がやってきたことは本当に正しかったのか、自問し、苦しんでいるのがよくわかります。


「後五百歳のあたらざるか広宣流布の妄語となるべきか日蓮法華経の行者ならざるか、法華経を教内と下して別伝と称する大妄語の者をまほり給うべきか、捨閉閣抛と定めて法華経の門をとぢよ巻をなげすてよと・ゑりつけて法華堂を失える者を守護し給うべきか、仏前の誓いはありしかども濁世の大難のはげしさをみて諸天下り給わざるか、日月天にまします須弥山いまもくづれず海潮も増減す四季もかたのごとくたがはずいかになりぬるやらんと大疑いよいよつもり候。」
(「開目抄」『御書全集』創価学会版、207ページ)


私は『開目抄』を安易に「人本尊開顕の書」と呼ぶことにあまり同意したくありません。なぜならそのように呼ぶことによって、この書の中の人間・日蓮の苦悩、煩悶と言ったものが覆い隠されてしまう気がするからです。
上の引用部からわかる通り、日蓮はここで自身が法華経の行者であることを疑い、悩み、苦しんでいる様子が伝わってきます。


この悩みがあるからこそ、下巻以降の「詮ずるところは天も捨てたまえ」の文意がわかるのだと思います。疑いながらも法華経を根本に生きていくと決めた日蓮は畢竟「天も私を捨ててしまえばよい。諸難にも会おう。命も捨てよう」という決意を定めるわけです。



この『開目抄』には、人間・日蓮のそれまで法華経の行者として生きてきた総括、そしてその後の生き方の決意があります。
極寒の佐渡の地では、とてもとても人が生きていける環境ではありません。
日蓮もここでは死を覚悟したことと推察されます。
自身が諸天に守られることを考えて信仰をしているわけでもない。実は自分は法華経の行者ではないのかもしれない。命が狙われる中、濁世の難の激しさから諸天が降りてこないかもしれない。疑いはいよいよ積もってきてしまった。
しかしそれでも自分には信念があり、信ずるものがあり、それは自分の命をかけてまでも貫くべきものであると、苦悶の末にその結論に達します。



この煩悶を読み、感じない限り、本当の意味で『開目抄』を読んだことにはならないんだと思うんですね。
「御本仏の宣言の書」とか「人本尊開顕の書」とか「発迹顕本」とか借り物の言葉だけで読んでも、『開目抄』における日蓮の心はわからない。ある意味、この書は文学に近いんだと思いますね。



この『開目抄』だけでもありませんが、創価学会は概して虚心坦懐に御書を読むという、真摯な信仰者としての姿勢をどこか見失っているように思えてなりません。











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