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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

即身成仏について。

即身成仏について。



創価学会の方は大きな誤解をしているようなんですが…………



「即身成仏」という語は法華経に説かれたものではありません。
言ってしまうと、「即身成仏」という概念は弘法大師空海によって作られた造語です。



ですから、この即身成仏という用語を日蓮が採用したということは、日蓮の思想に密教の影響があるということです。
創価学会の方、わかりますか?




ですから「真言は邪宗である」と安易に言うのは別に構いませんけど、それなら「即身成仏」という言葉を創価学会員さんは使えないはずです。
即身成仏は真言密教の言葉であり、真言密教を邪宗とするなら即身成仏という言葉を使うことも謗法になりませんか?
創価学会の方はそんな基本的な矛盾点さえ理解しようとしないんですね。


今回の任用試験でも「即身成仏」は試験範囲に出て来ました。
大白蓮華」から引用しましょう。



「成仏とは、人間に具わる本来の仏の境地(本有の仏界)を現すことであって、人間からかけ離れた特別な存在になることではありません。凡夫の身に仏という最高の人間性を開き顕すことが大聖人の成仏観です。
このような成仏を『即身成仏』といいます。即身成仏とは、衆生が、死んで生まれ変わって現実の凡夫の身を改めることなく、仏の境涯を得ることを言います。」
(『大白蓮華』2016年10月、任用試験特集号、聖教新聞社



即身成仏が法華経で説かれていると安易にいうのはハッキリ言ってしまうと嘘です。
もう少していねいにいうと、日蓮法華経を語る際に、密教の即身成仏という概念を自身の教義に利用しているわけです。



で、創価学会の方のために書くと、日蓮の思想形成に真言の影響があったことは、日蓮系教団の中ではすでに一般的な常識です。創価学会の皆さんだけが認めようとしない事実です。
創価学会だけが井の中の蛙の状態なのです。
日蓮の思想に法華真言未分の時期が少なくとも文永期まで存在したことは『守護国家論』を読めばわかることです。


つまり日蓮法華経理解、一念三千理解には密教的な理解があるわけです。
そもそも一念三千という法理が法華経の中にあるとするなら、その考え方そのものが密教的なことと思います。
文字を越えているわけですから。



私が日蓮をあえて評価する理由は実はそこであって、一念三千という概念理解がたとえ妙楽大師湛然由来の理解であったとしても、あくまで根本には法華経の題目を持ってきた。つまり言葉の本来の存在論的意味合いに着目し、あくまで依るべき言葉にこだわっているという点にあります。
最澄法華経を根本とした総合仏教として法華経を考えましたが、密教の理解は後年になりました。
日蓮法華経陀羅尼品から題目を根本とする義を持ってきた。そしてその考え方は非常に密教的です。



そもそも阿仏房を宝塔とする考え方も密教であります。
五大を宝塔とする考え方は天台智顗や最澄の考え方ではありません。
もちろんこれは『阿仏房御書』を真蹟と判断する立場に立たないと言えない議論になりますが(『阿仏房御書』は真蹟不存)、その前提に立つなら阿仏房の一身を地水火風空の五字に配する立場は密教の思想です。詳しく言えば五輪を五体に配するのは覚鑁(かくばん)の『五輪九字明秘密義釈』の思想です。日蓮はこの覚鑁の著作を実際に書写しており、この写本を富木常忍に送っています。この真筆は現在も中山法華経寺に存在します。
真言が謗法だとするなら、創価学会は『阿仏房御書』も『三世諸仏総勘文教相廃立』も日蓮真蹟とみなすことは認められないはずです。
同時に任用試験で「即身成仏」という概念を語ることができなくなるでしょう。なにせ謗法である真言の教えなのですから。


信仰を保つ者の一身、生命そのものが凡夫のありのままで仏の姿を顕すという即身成仏という考え方は、弘法大師空海が説いたものです。
これは法華経に説かれたものではありません。
その事実に対して、創価学会員も創価学会本部の方もどう説明するのでしょう。
そういう基本的なことを創価学会の皆さんも学会本部中央も全く考えていないんです。


繰り返しますが、「即身成仏」概念が空海の造語であることはすでに一般的な常識です。
それを否定してもただ世間から笑われるだけです。
そういうことに対して、ダンマリを決め込むのではなくて、ではどういう意図で日蓮密教的な理解を法華経に試みたのか、そこに思索を致すことが本当の信仰者の立場なのではないでしょうか。
蛇足ですが、そこを考えようとしない限り、曼荼羅という形で御本尊を顕した日蓮の本当の意図もわからないのではありませんか?


私の考えなんて創価学会員さんに教える気はありません。
だって創価学会の皆さんはそんなことを必要としてないですものね。
必要ない人に必要以上のことなんて私は語りませんって。




追記:
法華経提婆達多品における竜女の成仏は「変成男子」と書かれているように、竜女が男性に変貌を遂げて成仏することが説かれています。つまり竜女はそのままの姿で成仏したわけではないのです。サンスクリット語原本になると表現はもっと露骨で、竜女に実際に男性器が生えて成仏するとされています。
これは果たして「即身成仏」と言えるのでしょうか。
男性優位の当時の歴史的な経緯もさることながら、法華経のこのままの考え方を忠実に読み取れば、少なくともここで法華経における女性成仏は「即身成仏」とは言い難い気がします。
その意味でも「即身成仏」概念は法華経ではなく、むしろその語の生みの親である空海にその源流を辿らなければならないでしょう。