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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

戒壇について。







日蓮の『報恩抄』(真蹟:身延曽存)から。


「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・龍樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並びに上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」
日蓮『報恩抄』、御書全集創価学会版、328ページ)


つまり末法のために留めておいた正法が三つあり、その二つ目が本門の戒壇ということ。
ですから、日蓮が本門の戒壇建立を目標にしていたことは言えますね。



では戒壇とはそもそも何なのか。



戒壇とは、戒律を授けるための"授戒"の儀式を行う場のことです。
ほら、日蓮正宗とかで入会の儀式のことを「御授戒」って言うじゃないですか。昔は創価学会もお寺で「御授戒」を受けていました。
戒壇は戒律を受ける結界が整った場所で、授戒を受けることで正式に出家者は僧侶になることができました。



日本では奈良時代鑑真が戒師として招かれ、東大寺戒壇が建立されます。
鑑真以前に仏教はすでに6世紀頃、日本に伝来していましたが、この時の戒律は不完全であり、税金を逃れるために(当時出家者は税を免除されていた)勝手に出家する私度僧や修行をしない堕落した僧などの実態がありました。
そこで鑑真が招かれて戒律が伝えられ、この戒律を守るものだけが、僧と呼ばれたわけです。
鑑真の授戒以降、僧は授戒を受けることが必須要件となります。
平安時代に入り、最澄が現れました。
最澄鑑真戒壇を小乗戒壇であるとし、比叡山法華経を根本とする大乗円頓戒壇を建立したことは周知の通りでしょう。


ところで日蓮の『土木殿御返事』(真蹟:中山法華経寺蔵)には次のようにあります。


「設い日蓮死生不定為りと雖も妙法蓮華経の五字の流布は疑い無き者か伝教大師の御本意の円宗を日本に弘めんとす、但し定慧は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕す事法為る故に一重大難之れ有るか、仏滅後二千二百二十余年今に寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず」
(同963ページ)



ここからわかるように、日蓮は「最澄の御本意の円宗」を日本に弘めるという発言をしています。
仏道修行者が学ぶべきは戒定慧の三学なのですが、最澄は存命中に定慧の二つを弘め、戒については死後に弘まりました。そのことになぞらえて日蓮は「寿量品の仏」(定)と「肝要の五字」(慧)はまだ流布していないと述べています。
つまり戒壇については、後のことであると暗に示唆されていると読むことができます。ここでは日蓮自身の弘教が最澄をモデルとしており、戒壇もまた最澄の大乗戒壇のようなものを想定していることが伺えます。



続いて『法華取要抄』(真蹟:中山法華経寺蔵)から引用しましょう。


「問うて云く如来滅後二千余年・龍樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり、問うて曰く正像等に何ぞ弘通せざるや、答えて曰く正像に之を弘通せば小乗・権大乗・迹門の法門・一時に滅尽す可きなり、問うて曰く仏法を滅尽するの法何ぞ之を弘通せんや、答えて曰く末法に於ては大小・権実・顕密共に教のみ有つて得道無し一閻浮提皆謗法と為り畢んぬ、逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る」
(同336ページ)



やはり戒壇建立は日蓮が後世に託したものと考えられるでしょう。
ではその戒壇の意義とは何でしょうか。
そもそも日蓮がどこで戒を受けたのかは定かではありません。比叡山で授戒を受けたのかもしれないし、また戒を全く受けない私度僧であったのかもしれません。ただ戒を全く日蓮が受けなかったというのは、日蓮比叡山で仏法の研鑽をしていたことからも考えにくいでしょう。



伝教最澄戒壇建立は南都の戒壇とは別に独立し、自分たちで僧侶を育成するというところまで行いました。それが南都の反発を招き、またその権威から山門寺門派の争いに発展することになります。
そして先の『土木殿御返事』にもあったように、日蓮は「伝教大師の御本意の円宗」として自分の教えを考えていました。



以前のブログ記事で書いたように、日蓮最澄比叡山のような総合仏教を見本としていた。そして総合仏教としての法華経思想の確立を志向していたと私は考えています。

「諸天の勧請」

つまり法華経を根本義とすることで、一切の如来、仏、教えが妙法蓮華経の五字に照らされ、本有の尊形となる。
自身の戒壇の意義を述べる際に、最澄に自身をなぞらえるあたりに、戒壇建立の意義はやはり日蓮最澄を意識していたと考えられます。


『法華取要抄』には「日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり」(同336ページ)とあります。
私見ですが、最澄法華経を根本として総合仏教としての戒壇を建立したのに対して、日蓮はその曼荼羅の中に総合仏教の意義を込めたのだと考えています。それが日蓮の「肝要を好む」ということではないのかと。



日蓮戒壇建立は後世に託された訳ですが、果たして戒壇を建立することが現代においても日蓮の教えとして有効なのかどうかは私にはにわかにはわかりません。



戒律を持たず、勝手気ままに暮らしている、その人々に戒律をもたらし、戒壇を建立し、僧侶を育成し、人の振舞、行状を糺していったのが、戒の本来の意義でしょう。
元来、釈迦の教えというのは、人がどう生きるべきかという問いであり、哲学的な論争では本来なかったはずです。
とすれば、戒律を人々にもたらし、仏の教えを真摯に学び、人々を正しく導く場所ということこそが、現代における戒壇の有効性ではないでしょうか。
ですから本当は戒壇を建立して終わりなのではなく、そこから多くの優秀な学僧を輩出してこそ、本来の戒壇の意義は生きるのではないかと考えています。
巨大な殿堂を建設して、建物ばかりが立派になっても何の意味もないわけですものね。
真の思想を持たないものは、どんなに立派な形をしていても、いずれ消え去ってしまいます。「諸々の事象は過ぎ去る」というのが釈迦の最後の教えでした。



大誓堂とか大きな会館とか作る前に、何をすべきなのでしょうね。
本来もっとやらなければいけないことがたくさんあるはずですよね。
つまり何を根本にするかが大切なのでしょう。
私は自身の一念三千説=言語思想を根本として、自身の思索を深めたいと思っています。これは私自身の課題です。



翻って創価学会は何を根本にして戒を持つのでしょう。
牧口思想でしょうか。それとも師弟絶対主義でしょうか。
その戒定慧の三学とは何なのでしょうか。
安易に「題目が大事なんだ!」とか、「池田先生が根本です!」とか、それくらいしか語れないのが創価学会員の悲しい現状です。
底の浅い思想はいずれ消え去ります。どんなに立派な建物を建ててもいずれ滅びてしまうでしょう。
固定化された教義は、常にドグマに陥る危険性を常に孕んでいます。だからこそ私たちは思考することを、考えることをやめてはならないのです。









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