読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

「池田先生の心を忘れた」組織なのか。





12月号の『大白蓮華』巻頭言でも池田氏は「創価学会仏」と明言。
そもそも巻頭言を池田氏が自身で書いているのかという疑問はさておき、とりあえず池田氏自身が会則改正を容認しているということですね。


創価学会内部の批判的なグループは、今回の会則改正さえも「池田先生の心を忘れたもの」とネット上で感情的な批判をするようです。
しかしながら、すべての学会の動きに関して、何か問題があるときに、池田氏が何も発言しないということがあり得るか?
私は有り得ないと思うんですよね。
ですから、現状の創価学会の方針について、池田氏は事実上の容認をしていると考えるのが妥当な判断なのではないでしょうか。
ですから、今の創価学会の方針を、池田氏は容認していると私は考えています。
もし池田氏が体調不良で、意志決定を行えないほどの重篤状態であるとするなら、それこそ大誓堂にも創価大学に視察に行くことなどできないはずです。しかし聖教新聞紙上では写真が載らなくても行ったことが報道されている。「行ってないのに行った」というような、そこまでの虚偽報道をまさか今の聖教新聞がするとは正直考えにくい。


ということは、池田名誉会長は事実上、意志決定能力を未だに有しており、現状の創価学会公明党の方向性を容認していると考えられます。
もしもそこがおかしいとするなら池田氏はきちんと創価学会首脳部を批判するべきですし、公明党支援についても何らかの言及をするべきです。それに対して沈黙を保つということは、容認以外のなにものでもない。
「悪」に対して「何も言わない」ということは、池田氏の指導から考えれば「悪」への加担と同義でしょう。
沈黙はすなわち容認なのです。



ですから、創価学会内部から、首脳部や公明党批判をするなら、それは池田名誉会長への批判にならなければおかしいはずです。
「池田名誉会長は正しい。今の創価学会が間違っている。今の公明党が間違っている。」なんて有り得ません。
論理的に考えれば、池田名誉会長がおかしいから、今の創価学会公明党もおかしいのです。黙っている池田名誉会長が悪いのです。




しかしそう考えられない学会員さんが少なからずいる。池田先生は絶対だと考えている人が少なからずいて、その人たちは自身の信仰を客観視して思考することができないのでしょうね。



池田名誉会長のみが正しくて、今の創価学会公明党がおかしいなんて批判は論理的に有り得ません。
池田名誉会長も批判しなければいけませんって。なぜ池田先生は黙っているのか、今こそ声をあげるべきではないのかと。
信仰者の願いとしてそうあってほしいけど、実際は沈黙を守っている池田氏に対して、彼らは「体調不良にて意志決定が行えていない」と判断せざるを得ないのでしょうね。
そうでなければ、自身の信仰の拠り所となるべき池田名誉会長も悪そのものの存在に堕してしまうからです。
しかしそのことを、学会員さんもそろそろ認めなければいけないと思います。





追記:
仮に百歩譲って、池田名誉会長が重篤にあって、本当に意志決定ができない身体であると考えてみても、例えば昨年までは写真付きで大誓堂で勤行とかをしていたわけです。
それなら例えば2015年までの創価学会の現状について、池田氏は容認していると判断せざるを得ないと思います。
要するに重篤で意志決定ができないとするなら、いつから池田名誉会長は意志決定ができないのか。去年からなのか、今年からなのか。そしてその時期までは意志決定ができていたとするなら、それまでの創価学会は池田名誉会長の心を体現していたと言えるか。
結局、そういった問いを全く発することができなくなっていて、池田名誉会長無謬主義の盲信に陥っているのが、今の多くの創価学会員さんの実態なのだと思います。