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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

思索することのできない教団。





例えば選挙で
「なんで公明党南スーダン派遣を容認しているんだ」なんて地区とかで話そうものなら、

「あんた、そんな屁理屈言ってるから増上慢になるのよ。Zを一つくらい取って来なさい」
なんて婦人部から言われそうですね。


(注:「Z」というのは期日前投票の確約のこと。期日前が済んだ場合は「Z済」と呼ばれます)。


組織がどんな政党をどう支援しても自由です。そのことを前提にしますが、それでも創価学会の政治支援に問題があるとすると、会員の政治に対する意識の低さがあることだと私には思えます。


「あれだけ集票マシーンと呼ばれながら、政治に対する意識が低いの?」なんて言われそうですけど、実際、政治のことはみんなほとんど知りません。
選挙シーズンとかに組織に回ってくる広報用のDVDとかパンフレットとかを見て、「公明党を語る武器にしましょう」なんて言ってるくらいですから。


創価学会は「民衆を賢くする団体」(池田大作)のはずなのですけど、どう考えても民衆は思考停止で考えない。従順な羊のような団体になりました。
気は優しくて、奉仕の心があって、けれど人に騙されやすく、言われた通りのことを従順にするだけなんです。
従順すぎる余りに、自宗教が正しいと絶対的に信じ込みますが、その論拠に乏しく、せいぜい任用試験で学んだくらいのことを語って、「池田先生は素晴らしいんです」くらいしかいえない一人一人です。
それが「民衆を賢くする団体」と呼べますか?
今の創価学会は、そういう「思考をしない団体」に成り下がってしまいました。


創価学会本部つまり信濃町は、矢継ぎ早の会則改正によって「宗教的独自性を高めた」としています。
これはつまり早く「世界宗教」として出発したいということなのでしょう。
もはや日本国内の創価学会員は世帯数増加が見込めず、御本尊下附数も頭打ち。後継の若い世代に信仰を継承することも黄色信号が灯り始めました。
だから信濃町としては、海外のSGIに目を向け始めています。最近、原田会長とか笠貫女性部長とかがやたら海外に行くのも気になりますしね。SGIならまだ増える見込みがあるし、財務の増加も見込めるのではないでしょうか。


ただそのためには、日蓮正宗時代から残っている教義がネックになっていて、その教義を克服することを喫緊の課題としているようです。



ただこの日蓮正宗の教義が、創価学会員の中でけっこうガッチリと凝り固まっていまして、日寛教学を否定することがなかなかできない。
つまりこれまでの学会は、会員にそういった教義問題を考えさせて来なかったからです。会員もまた上から教わる教義を信じてやってきてしまったからです。
だから教義を自身で問い直すなんてできないできない。

ところが、今、信濃町がこれからやろうとしているのは、場合によってはその教義の問い直しを迫るような、学会の教義の根幹に関わることだったりするわけです。
少なからず反発も出るでしょう。こと本仏論に関しては創価学会が分裂しかねないくらいのことです。
だから信濃町としてもちょっと拙速にはやりづらい。
まあさらりとやってしまうかもしれませんけどね。多くの会員は「ふーん」と言って通り過ぎるだけなのかもしれませんが。



会員の中は割れそうです。
会則改正を持ち出されても「ふーん」と言っていつも通りに過ごす会員。
そして会則改正を持ち出されて「信濃町は池田先生の心を失った!」と騒ぎ出すグループとに分かれるでしょう。
で、騒ぎ出したグループがそんなに多くなければ指導、場合によっては査問、除名で切ることも信濃町はやるでしょう。



つまり思想性というか、哲学がないんですよね。信濃町にも末端の会員にも。
日蓮の本意は何であったのかとか、創価学会の創立の牧口思想とは何かとか、集団的自衛権は現憲法下で可能なのかとか、そういったことを問い直すことができない。
考えていないからです。
つまり哲学がないんです。




ですから本気で教義改正をしたいと思うなら、教学の運動を起こさなければいけない。それこそ異論も反論も含めて大きな議論になるようなことを喧喧諤諤と自由に話せなければいけない。
けれど創価学会はそういうことをしてこなかった。日蓮正宗が正しいとしたからこそ、弘安2年の御本尊も信じたし、唯授一人の血脈相承も、日蓮末法の御本仏であることも、日寛筆の御本尊も、日寛の教学も、堀日亨の御書も、御義口伝講義も百六箇抄講義も、正本堂建立も、みーんなみんな信じてきたんです。
教義については、基本日蓮正宗丸投げで、あとは勝手な解釈を幹部がいいように思うことを言えばそれでよかったわけです。
要するに創価学会は自前の教義がなかったんです。宗門から離れてみて首脳部はやっとそのことに気づき出したのでしょうね。



それらの教義って「本当に正しかったんですか?」と問うことが、今の会員にはできなくなっています。だってそんなこと考えたことないもの。



今までが正しかったんだから、今までで良いはずだ、何かがおかしい、きっとそれは池田先生の心を失っているからだ、なーんて考える人も出るでしょう。



信濃町も熟慮が不足しています。 
会員もまた然りです。
教学の運動なんて一朝一夕にいきません。
池田名誉会長の存命中に、もしも御大の御決済を得たなんて言って拙速に教義改正したら、それは信濃町の思想の貧困を物語る証拠だとしか思えません。



自分の頭で考えられる人、
そういう人たちが集まれる組織であるといいのですが、現状は厳しそうです。



追記:
「弘安2年の本尊から離れて創価学会常住御本尊を根本にする」なんて言ってる人たちでさえ、自分たちの言ってることの矛盾に気がついていない。それではもうどうしようもない。
日蓮正宗から離れて水谷日昇氏の御本尊を根本にするって、どんな笑い話なんですか。
本当に自分で思索することのできない組織になってきましたよね。