気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日目再誕説




日蓮正宗では「広宣流布の時には第3祖日目上人が法主として再誕する」という、"日目再誕説"があります。



大石寺法主・68世早瀬日如氏はこの日目再誕説について次のように述べています。



「日目上人の辞世に、『代々を経て・思をつむぞ・富士のねの・煙よをよべ・雲の上まで』(『富士宗学要集』)との歌を詠まれています。この意味は、富士大石寺のみに継承される血脈正統の仏法は、代々の御法主上人に受け継がれ、広宣流布への思いは富士よりも高く「雲の上まで」届き、必ず成就するのであるとの、熱烈な願いを表現されたものであります。このことから、古来、宗門では、一閻浮提広宣流布の暁には必ず日目上人が再来され、一宗を統率あそばされると伝えられています。」
(「大白法」平成18年10月1日号)



これを読むと、日蓮正宗広宣流布の時に日目が再誕するとしていることは、教義として確かなことのようです。



私は浅学にして、この日目の辞世の句

「代々を経て・思をつむぞ・富士のねの・煙よをよべ・雲の上まで」

が、富士宗学要集のどこにあるのか、わからないでいるのですが、掲載はされているようです。今度探してみます。



ところで、辞世の句ということは亡くなる時に詠んだ歌ということです。
ちょっと待ってくださいね。



宗史に詳しくない方のために少し書きますと、日目という人は天奏を生涯42度、行っていると言われています(実際はそんなに行っていないと私は考えていますが、大石寺ではそう伝えられています)。「天奏」というのは日蓮の国家諫暁のように、京都に行き、天皇に対して法華第一の信仰を訴えるということなんです。
1333年は師の日興が亡くなった年ですが、同時に鎌倉幕府滅亡の年でもあります。
幕府滅後、これを機として日目は弟子の日尊と日郷を連れて京に向かいます。
ところがこの途中で、美濃の垂井(現在の岐阜県垂井町)にて日目は病床に伏してしまい、11月15日に亡くなります。
日尊、日郷の二人は代奏を果たした後、日尊は京都に向かいます。日郷は遺骨を持っていっぺん富士に帰りますが、その後いろいろ大石寺とゴタゴタがあって保田妙本寺に行くことになります。



ということはですよ。
この「辞世の句」が史実として正しいと仮定して先に進みます。
日目が京都に向かう前に「辞世の句」を詠むはずはありません。
恐らく日目が「辞世の句」を詠んだのは美濃の垂井であって、そこでその句を聞いて記憶していたのは日尊か日郷の二人しかあり得ないはずです。



つまり大石寺に伝わっているということは、日尊の要法寺から伝わったのか、あるいは保田妙本寺の日郷から伝わったのか、どちらかのルートからしかあり得ないということです。
一度、日郷は遺骨を持って富士に帰ってきているようですので、この日郷から、あるいは保田妙本寺から、この「辞世の句」が伝わったと考えるのが自然でしょう。



とすれば、非科学的なことになりますが、教義として考える場合、日目は保田の妙本寺の方に再誕すると考えるのが自然なんじゃないですかね。あるいは京都要法寺の方とか。
もちろん大石寺は日目が天奏に出発する前に日道に血脈相承をしておいたと主張されるのでしょうけれど、実際その遺言を聞いているのは日郷と日尊ですものね。



なんでこんなことをつらつら書いているかっていうと、どうにも日蓮正宗の教義とか相伝の類の多くが他山の寄せ集めなのではないかという印象が強いからなんです。



例えば相伝書で考えると、堀日亨の『富士宗学要集』第1巻は相伝部なんですが、ほとんどの相伝で他山の写本から校正しているんです。
大石寺のみに唯授一人の相伝が伝わっているとするならどうして他山の写本で校閲するのでしょう。その点がわからないんですね。



具体的に富士宗学要集で堀日亨が引用している写本を書き出してみると、

①本因妙抄
大石寺日時・要法寺日辰・妙本寺日我
②百六箇抄
要法寺日辰・妙本寺日我
③産湯相承事
・妙本寺日山
④御本尊七箇相承
・妙本寺日山
⑤本尊三度相伝
・水口日源
⑥寿量品文底大事
・妙本寺日山
⑦上行所伝三大秘法口訣
要法寺日辰・大石寺日精・嘉伝日悦
⑧三時弘教次第
大石寺(筆者不明)



ですから、古写本を大石寺は大事にしないんだなぁと思うんです。結局、校正に使った写本は大体京都要法寺保田妙本寺なわけです。



ですから、いわゆる「日目再誕説」も、大石寺由来というよりかは、京都要法寺保田妙本寺かあるいは日郷か日尊の言ったことをそのまま自山の教義としたという風にしか私には考えられないんですね。
だって日道は実際、大石寺にお留守番していたわけですから「辞世の句」は聞いているはずがない。伝わったのは日郷からと考えるのが自然なことですよね。



蓮祖の歯のことだって、日蓮宗身延山にも別の歯が伝わっているわけで(まあそちらは肉が増えたりしないと思いますが・笑)、大石寺教学は他山のものをいろいろ真似して作られたという印象がとても強いんですよね。

「御肉牙」

もちろん宗教というものの本質は非科学的なものです。日蓮正宗がどんな教義を採用しようが、それは別に構わないことです。
R・オットーによれば宗教の本質はヌミノーゼにあるわけで、神秘的で戦慄を覚えさせ、畏怖の念を与えるような絶対他者、超自然的なものこそが宗教の本質だとは思います。
けれども自山の中で教義を完成できずに、他山の写本やら教義やらをかき集めて一つにしても、どこか説得力には欠けると思うんですが、そう思うのは私だけでしょうか。


今回は日蓮正宗の教義「日目再誕説」に触れましたが、創価学会もかつて日蓮正宗講中だったわけで、こういった過去の教義の総括についてはだんまりを決め込んだままです。
やはり過去にやってしまったことはちゃんと全部晒して総括した方がいいと思いますよ。



追記:
聞いた話ですが、顕正会という宗教団体は「浅井先生が日目の再誕」(!)としているという話を聞きました。本当でしょうか? 一部のグループが騒いでいるのかしら。私にはわかりかねますが。