気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

3名の告発と哲学の不在。

創価学会・元本部職員である、件の3名の暴露本が出版されました。





で、この方たちのやってることに一定の評価をしつつも、たぶんこの3人の活動ってそれ以上続かないと思います。
つまり学会本部を批判して、それからどうするの?っていうのがないんです。
あるのは「池田先生の心のある組織に戻れ」という池田大作懐古主義です。



それはそれでも構いませんけど、池田名誉会長の思想って何ですか?
池田名誉会長って体系だった思想って残してないですよね?
「親孝行しよう」
「勝ちまくれ!」
「仏法は師弟だ」
「仏法は勝負だ」
あとは日寛教学だけです。
それ以外に池田思想なんてありません。
思想なんてものはありません。
本当ですって。
嘘だと言うなら、池田思想が何なのか教えてくださいませ。
具体的に言えるものなんて何もないじゃないですか。


まあ、池田名誉会長に戻るという懐古主義でもいいんですけど、その後にどうするのか、ビジョンとか思想がないんです。
まさか池田名誉会長の心を取り戻せば創価学会はそれだけで再生するとでも思っているのでしょうか?



言わせてもらいますと、今の最高幹部を育ててきた責任は誰にあるのでしょう?
その責任は池田名誉会長と池田思想にあると思いますよ。間違いなく。
昭和52年前後、何人も弟子を切ってきたじゃないですか。
あの当時、「本門の弟子」はたくさんいたはずです。
それで残ったのが、今の学会の最高幹部の皆さんたちです。
言わば池田名誉会長が鍛え上げたエリートたちです。
原田会長なんていつもそばにいた人ですよ。周恩来総理との会見にも同席してますよね。
原田さんは宗門問題でも宗門側と最前線にいた人ですよね。
そういった最高幹部たちが腐敗したとすれば、責任は当然池田名誉会長にもありますって。
そこを総括しなければダメです。
池田名誉会長の心を失ったから腐敗したのではなくて、池田名誉会長のせいで腐敗したんですよ。
そこまで言えなきゃ創価学会は変われません。
池田名誉会長から離れないとダメです。
いつまでも師弟不二なんて言って、肝心の教学が破綻しているんじゃ、一体何と境地冥合するんでしょうか。
池田名誉会長に卓越した指導性があったことは否定しません。
けれど彼の極端な師弟主義とも言うべき「師弟」の過剰な強調が、今の学会組織の惰性化・形骸化を生んだのだと私は思ってます。



まさか池田先生と境地冥合するなんて言うんでしょうか?
それってまさに昭和52年路線で否定されたはずじゃないですか。
そうすると件のこの3人の方は、日蓮思想を離れて池田思想に行くということでしょうか。
それなら池田思想をきちんと定式化して、日蓮を傍流としてどのように位置付けるのか、その教義にまできちんと練り上げないとダメでしょう。



学会本部の問題点を指摘するのはいいですが、その後、どのような思想を根本にして創価学会をどう再生するのかということです。
まさか池田思想を純化すれば、それだけで創価学会が蘇生するとお考えなのでしょうか?
今の創価学会の直面している形骸化、権威化はもっと根の深いものです。



暴露本を出せば創価学会は再生するのですか?
日蓮思想の教義破綻はどうするのですか?
池田名誉会長に責任はないのですか?
今の本部職員の腐敗を生んだ責任は池田名誉会長にはないのですか?
私はあると思います。
池田名誉会長の指導から、今の創価学会の執行部が生まれてきたのではないのですか?
極端な師匠優先主義から、日蓮を語れない、原理主義的な幹部が生まれてきたのではないのですか?
青年部育成に失敗してきた過去はどう総括するのですか?
そこに池田名誉会長の責任はないのですか?
自分たちはどうしたいと考えているのですか?
創価学会の組織を破壊してそれで終わりとするなら、それでもいいですけど、その後のことは別に考えてないということで理解して良いんでしょうか?


もっと言ってしまうと、この3人が暴露本を出版できる、その資金源と後ろ盾は誰なのでしょうか?
3人の方が善意で戦っていることは理解できても、その資金源は何なのでしょうか?
どういう人が彼らを応援しているのでしょうか?
お金はどういう意図で出ているものなのでしょうか?


要するに哲学がわからないんです。
学会本部の腐敗という問題点を指摘するだけで、今の創価学会が陥っている形骸化が容易に変わるなんて思えません。
そんなのトップを変えてもまた同じような幹部が出てきて同じこと繰り返すだけなんじゃないかなあと思います。
だって思想が変わらないんですから。
組織って放っておけば、どんどん形骸化して腐敗するものです。そういうものです。
段勲さんとか乙骨さんとかがやってることと、3人のやってることはどこが違うのでしょうか?
同じじゃないですか。



教団の根本の思想が破綻しているという事実に、もっと今の創価学会員は気づくべきかと思います。
最高幹部を批判して、総入れ替えしても、思想が変わらなければ同じこと繰り返すだけだと思います。



日蓮から離れて、日蓮思想はあくまで傍流の思想として、根本を三代会長の思想としてしまうというウルトラCも案としてあると思います。前回のブログ記事はそういうことです。
ただ問題は、思想として定式化できそうなのは恐らく初代牧口会長だけなんですよね。


戸田城聖氏の生命論は大宇宙に偏在する生命を根本としているそうですが、これは真言密教とか梵我一如の思想ですからやめた方がよい。要するに内外相対の外道の思想を根本に持ってくるようなものです。自己矛盾することは間違いなく、他門流の方から失笑を買うだけです。
加えて戸田氏は日蓮正宗のわけのわからないオカルト的な教義を有難がって信者に紹介するところがありますから、やめた方がいいです。「御秘符」とか「御肉牙」とか本気で信じていたのでしょうか。私は初めてこれらの伝承が日蓮正宗にあることを知った時に我が耳を疑いましたけどね。


池田名誉会長の思想は「親孝行をしよう」と「勝ちまくれ」と「仏法は師弟」と「仏法は勝負」しかないので、教義として定式化するのは難しいと思います。


それなら牧口会長の価値論とか、人生地理学の思想とかを再検討して解釈するのが一番やりやすいのではないかと。
本来の創価学会とはどういうものだったのか、その原点に戻るという意味でも、初代の思想の再検討は意味があることでしょうから。
そして日蓮の思想を牧口がどのように自分の思想に組み入れたのかを考えていけば、日蓮教学から離れることができると思います。


私は日蓮の徒ですから、今のまま日蓮の信仰を貫きたいと思います。
もしも創価学会日蓮の信仰を傍流として規定し、三代会長を開祖という教義にするのなら、その時はすぐに退会すべきでしょうね。
まあ、でも今の創価学会が三代会長を根本に再生したいと思うならそれくらいしか方法がないのだとは思います。


信仰は自分の心の中に築いていくものです。
疑問を感じながらも求め続けて、より普遍性の高い真実へと至る努力を惜しまないことです。
自身の卑小さを自覚し、より偉大なものへの敬虔の念を日々感じることです。
私は自分なりに求めていこうと思います。
求めないで安易に走ろうと信仰は形骸化するものだと私たちは自身を戒めなければいけません。