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創価学会の非活メンバーによる語り

日蓮の本覚思想と即身成仏について。

日蓮の本覚思想と即身成仏について。



今、私がわからなくて悩んでることは、日蓮に本覚思想が果たして本当に存在していたのかどうかということです。



日蓮の思想にいわゆる「本覚思想」的なものがあり、衆生に本来仏性が存在するという立場を取っていたと考えるべきかどうか、私は実は悩んでいます。
こんなこと、創価学会員さんに聞いても誰もわかりませんし、誰も教えてくれません。自分で学んでみます。
術語として「無作三身」「本覚」そして「即身成仏」という語ですが、まず「無作三身」という語から考えてみましょう。


「無作三身」という語は最澄の『守護国界抄』に由来していまして、巻下の第3章に出てくる語です。



「有為の報仏は、夢裏の権果なり。無作の三身は覚前の実仏なり」


とあるのだけど、最澄の確実な著作中(偽撰を除く)に「無作三身」の用語はここ以外に存在しないわけで、しかも円仁、円珍、安然の確実な作品中にもこの語は使われていません(浅井円道『無作三身考』)。



しかも「無作三身」の語が『守護国界抄』から引用されている日蓮の遺文は『三世諸仏総勘文教相廃立』のみです。『総勘文抄』自体は録内に含まれ、中山日祐の『本尊聖教録』に記載があるようなのですが真蹟が現存しません。そのため偽書説が残るわけなんですね。
となると、私が立論したいと考えている一念三千論については、この偽書説をとれば『総勘文抄』を依拠とすることが不可能になります。



犀角独歩氏の指摘によれば、日蓮は『双紙要文』において最澄の『守護国界抄』の一部を書写している(文永6年、中山法華経寺蔵)のだそうです。少なくとも日蓮本人が最澄の『守護国界抄』を閲覧していたのは疑いなく、「無作三身」の用語を知っていた可能性は高いことはここから推察できます。



しかし日蓮の真蹟現存・曽存の遺文中で「無作三身」「本覚」を用いている遺文は存在していないのが現状です。
確かに真蹟が現存していないからと言って、それを直ちに日蓮著書ではないと切り捨てることは極端な考えですが、ここまで「無作三身」「本覚」の語が真蹟遺文中に存在しないと、『総勘文抄』や『当体義抄』を立論の依拠として扱うことは難しくなってきます。
つまりそうなると日蓮の思想は天台本覚が正系ではないということになります。



とすると、日蓮の一念三千や本覚の理解は「即身成仏」という語の由来である、真言にあるのかもしれないと最近は考えるようになってきました。周知のように「即身成仏」という言葉は空海の造語です。
そもそも若き日の日蓮真言密教を深く学んでいました。以前のブログでも紹介したように17歳の時には智証著とされる『円多羅義集唐決』の書写をしていますし、『不動愛染感見記』(建長6年、蓮祖33歳、立宗の翌年)では日蓮自身が大日如来から相承を受けたと書かれています。この『感見記』の真蹟は保田妙本寺に現存しています。実際その後の曼荼羅のほとんどで不動と愛染は梵字によって勧請されているわけです。
蓮祖38歳の時の述作『守護国家論』(身延曽存)で日蓮は法華とともに真言も「正法」と規定しています。少なくとも『災難対治抄』『立正安国論』の時期まで日蓮は法華真言未分の立場です。
日蓮真言批判へと転ずるのは実際には弘長2年の『教機時国抄』からで、蓮祖41歳以降のことなんですね。



日蓮の一念三千の理解は、実は真言における「即身成仏」とセットになっているのではないか。最近はそんな風に考えています。
実際『撰時抄』には以下のようにあります。



「世尊は二乗作仏・久遠実成をば名字をかくし即身成仏・一念三千の肝心、其義を宣べ給はず、此等は偏にこれ機は有りしかども時の来らざればのべさせ給はず」
(御書全集、創価学会版、256ページ)



この文からは「即身成仏」と「一念三千」が並存していると読むこともできるでしょうし、また両者が同格であるとも読めます。
日蓮の『戒体即身成仏義』等の著作から、日蓮の即身成仏理解を考察し、そこから一念三千をどのように日蓮自身が位置付けているのかを考えることが、今後の重要なポイントになりそうです。
後年、日蓮は「法華経がなければ真言に即身成仏の義はあり得ない」「真言法華経の即身成仏義を盗んで真言に取り入れた」等と真言を批判するわけです(『太田殿女房御返事』建治元年、同1005〜1008ページ。『四条金吾釈迦仏供養事』建治2年、同1145ページ等)。
真言にあった即身成仏という語を用いつつ、"その理論的根拠は本来法華経にあるのだ"という風に日蓮の思想はシフトしていくことになります。


追記:1〜3まであります。


追記:1
創価学会の教学というものはどうにもならなくて、だいたい『戒体即身成仏義』は御書全集に未収録。多くの会員は見たことも聞いたこともない。ちゃんと堀日亨氏の凡例に記述があるのにほとんどの方は読んでもいません(御書全集、目次前の序の5ページにちゃんと書いてあります)。
法華と真言が未分の立場をとる『守護国家論』や『災難対治抄』についてはほとんど何も語れない。まして『不動愛染感見記』についてなど初めて聞くという学会員さんが多いのではないでしょうか。学会員の方は徒らに偽書説を唱えたりするのでしょうけど、それでは身延曽存の『守護国家論』で法華・真言ともに正法として論を展開していた事実をどう説明するのでしょう。ちゃんと「法華真言の直道」って書かれていますよ(同36ページ)。
法華真言未分の時期が日蓮にあったことは疑いないのですが、創価学会本部はそれを会員にきちんと伝えようとしないのか、そのことさえも知らないのか、あるいは認めようとしないのか、立場的にはそのどれかなのでしょうね。



追記:2
『阿仏房御書』(真蹟不存)には

「今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり」
(御書全集1304ページ)

と書かれています。一身を「地水火風空」の五大と配するのはまさに『五輪九字明秘密義釈』に見られる真言密教覚鑁(かくばん)の思想で、彼はここで地水火風空の五輪を人の五体になぞらえた図を残しています。この「地水火風空」は『生死一大事血脈抄』(同1338ページ)にも『三世諸仏総勘文教相廃立』(同568ページ)にも出てきます。
創価学会は『戒体即身成仏義』を偽書と断定するなら、論理的には真言の思想が含まれている真蹟不存のこれら『阿仏房御書』『生死一大事血脈抄』『三世諸仏総勘文教相廃立』の三書も偽書と判断すべきでしょう。この点については創価学会の公式見解はどうなっているのか、この五大が真言由来ということについては創価学会は意図的に無視をしているのか、何も語らないので全くわかりません。
書いていて気づいたのですが、『阿仏房御書』と『総勘文抄』の「我身を宝塔・五大と見る」という記述が日蓮書写の『五輪九字明秘密義釈』の思想と重なるならば、この二書を真蹟と判断する、あるいは信頼性を高める根拠となり得るかもしれません。



追記:3
建治元年の『太田殿女房御返事』は真蹟が中山に現存します。ここでは、本来の即身成仏思想は真言ではなくて法華経にあるのだという後期の真言批判が展開されていきます。
また『聖愚問答抄』では、最澄が唯一「即身成仏」と述べた『法華秀句』が引用されています(同499ページ)。最澄の即身成仏思想は空海や他宗からの影響であり、次第に即身成仏思想を展開していったものと推測されますが(進藤浩司『最澄の即身成仏思想』印度學佛教学研究』第50巻第2号、2002年3月)、日蓮はここで最澄を引用することで法華経の力によって初めて即身成仏が可能になるとして、自説の法華経一乗思想に、即身成仏を取り込んでいるように私には思えます。
『聖愚問答抄』には真蹟が存在せず、偽書説がありますが、日像の『曼荼羅相伝』(1318年)に引用があり、祖滅36年なので比較的信頼性は高いと考えられます。また日持の著作日蓮自身が允可を与えたという説もあります。
なお『四条金吾釈迦仏供養事』については、真蹟の断片が鎌倉妙本寺に存在し、身延曽存であることが知られています。