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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

創価学会仏って何ですか? その2

なんだか、会則改正による「創価学会仏」の制定って、池田名誉会長亡き後、組織に文句を言わせないために組織そのものに聖性を付与するための論理という気がしてきました。




要するに三代会長以外に絶対的なものが、今の創価学会にはもう存在しないんですよ。
ですから、池田名誉会長がいつ亡くなっても大丈夫なように、組織そのものにお墨付きを与えておくということでしょう。


そうすれば、創価学会の運営方針とか公明党の政策に対して異論が会員から出ても、組織そのものが「創価学会仏」であるなら、文句は言えないだろうということ。


組織そのものにヌミノーゼを付与して、今のうちに絶対的な存在にしてしまおうと。そうしておけば池田名誉会長亡き後だって、創価学会が公にする見解は全て「未来の経典」として会員に示せるんでしょうから。



まあ姑息なことです。組織維持のために教義が硬直化してきましたね。
だいたい「広宣流布を実践する唯一の団体は創価学会しかない」だから「創価学会は仏なんだ」というロジックは、トートロジーにしか聞こえないんですけど。
創価学会の独自性というより、閉鎖性と独善性が高まったと言った方がよい。



島田裕巳氏もこの会則改正に対してtwitterで批判されていましたね。全く同意見です。


創価学会仏のことが話題になっているけれど、仏意仏勅の教団は創価学会だけと主張しているところに、創価学会の排他性が明らかに示されている。これでは、ほかの仏教教団と協調することなど不可能。日蓮正宗時代とまったく変わらない。」
島田裕巳氏のツイートより)




創価学会仏」のことは「未来の経典」に記されるらしいですけど、創価学会仏なら仏様なんですから、自分たちで未来の経典も創作できますからね。
もしかしたら「これが創価学会の発迹顕本なんだ」とか言い出しかねません。




この会則改正は、自身の教団そのものを神格化、絶対化しようとする意図を感じますが、なぜこの時期なのかなという疑問も少しわきます。
池田名誉会長も長らく公の場に姿を現さないですから、やはり体調も良くないのかもしれませんね。だからこそ組織の絶対化を急ぐ必要があるのかもしれません。