読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

なぜ退会をしないのかと言うと。

こんなことをいろいろ書いていると、自分でも思うんですけど、創価学会を退会すべきなんじゃないかと言う人がいてもおかしくはないですよね。



ええ、そうなんですよ。私、それ、実際考えました。
退会届けの文案まで考えて、文書もいつでも出せるように保存してあります(笑)。


で、なんでそれをしないのかと。
どうして退会をしていないのかと。


単純に退会するのが面倒くさいというのがあります。退会届けを本部に郵送すればそれで済んでしまいますが、色々と家庭訪問に誰かが来たりと周囲が騒がしくなるでしょう。
とりわけ面倒くさいのが聖教新聞の問題です。聖教新聞を取るのをやめると言い出すと、配達員やら婦人部やらが家に駆けつけて騒ぎ出すのは目に見えています。


まあ、ネックになるのは新聞だけなので、もう少し新聞読み続けてもいいかと。
創価学会がこの後、どのように変化して劣化していくのかを見るのに聖教新聞は良い材料でもあります。
創価学会の親類は皆亡くなったり、縁遠くなった方ばかりで、私が退会しても騒がれたりすることはなさそうなのですが、とりあえずいつでも退会できる準備だけしておいて、今は非活動家として静かに暮らしております。



私、日蓮仏法に純粋に興味があって、男子部の活動家の時代から御書を教わりながら読んできました。
今さら、日蓮の現代的な可能性なんて論じてもどうなんだろうとは思いますが、少なくとも現在の創価学会がそれを現代において行なっているとは到底思えない。
他の日蓮系教団の方々がそれをやってるのかとも正直思えない。



日蓮鎌倉時代の人間ですから、それを現代において実践するなら、現代ではどういうことになるのかという解釈をしないといけない。
もちろん自分勝手な解釈ではなく、一定の普遍性を持つものを提出することは、宗教者としての大切な使命だと思うんですね。



今さら創価学会は改革も再生もできませんし(既に自浄能力を失っていると思います)、一人の信仰者として自分のやってること、考えていることをブログに書いてもいいかなと始めてみました。
このブログ、コメントもつけられない設定ですし、大したことも書けないでしょうし、誰からも連絡は来ないでしょうし、備忘録のつもりでいっちょ書いてみるかと始めてみたんですね。



心の中ではもう創価の組織からは離れています。ですから無理に退会するのではなく、自分の静かな信仰をとりあえずやってみて、自分がやってること、考えていることをブログに書いてみようかと。



信仰って組織に寄りかかって行なうものではないです。
自分の心の中に築いていくものですからね。



とはいえ、退会して学会員でなくなっても聖教新聞を取ることは可能かもしれませんけどね。そんなわけで、ある日突然退会届けを出すことになるのかもしれません。その時はこのブログで報告をしたいとは思っています。