気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

今後の公明党は



安保関連法案の問題は

学会本部が関連法案に反対する会員を
結局無視したり
場合によっては
役職を解任したりしました。
そういう制裁措置が複数あったわけで
学会組織のそういった矛盾点が
もはや隠しきれなくなってしまったってこと
それが象徴的に示されているのが
例の3人組の登場だと思います。



ただ件の3人組の問題点は
未だ池田名誉会長を信じて
「池田先生の心に帰れ」とか
そういうことを主張しているんですね。



そういう「池田先生信仰」が
現在の創価学会の問題を惹起していることに
彼らは気づけないんです。
あまりに内面に深く入り込んでしまっていて
客観化できなくなっている。
池田先生、池田先生って言う時点で
彼らはもう思考停止してしまっています



安保関連法案について
私は反対でも賛成でもありません。
今は立場を明確にしていません
恐らく日本政府は
アメリカの意志を無視できないはずですし
こと問題は沖縄の問題や
日本の領海の問題、また
東アジアの安全保障の問題とも
リンクしているでしょう
安易に反対とか賛成とか
言って解決する問題でもないかと思います。




ただ創価学会本部は
多様な価値観を組織が持つことについて
例えば公明党を支援できないとか
安保関連法案に反対とか
そういった会員に対して
何らかの発言の自由を与えないと
もはややっていけないでしょう。
組織が乱れるという名目で
会員を例えば除名したり
役職を解任したりしてきましたが、
それらがだんだん
抑えられなくなってきています




加えて創価学会内部には
沈黙して何も言わない非活動家が増えました
余計なことを言わず
組織を荒立てず
静かに創価学会から離れている
そういう人たちです
彼らは非常に冷静に創価学会を見ています。
少しずつ彼らは
なりつつあります




いくら家庭訪問を強化しても
そういった学会員の非活動家は
出てきません。
思想の自由や発言の自由が
地域組織で許されずに
彼らは閉塞感を組織に感じるからです




ですから
公明党の選挙支援は
もう今後やらないよというくらいの
思い切った措置をとらないと
そういった人たちは組織に返ってきません



自分たちの感じること、考えること
本音を話せない組織なんて
居ようと思わないじゃないですか
安保関連法案だって
どういう点で問題で
どういう点で賛成なのかとか
反対なのかとか
そういった疑問に答えてくれる
地域幹部もいないんです
幹部はみんな口を揃えたように
「今、公明党を支援することが
池田先生の呼吸に合った闘いなのです」
そんなことしか言わないんです


 なんで公明党を支援するのか
安保関連法案になぜ賛成したのか
それらの素朴な疑問にも答えないで
反対意見を言うと無視されたり
スルーされたり
場合によっては役職を解任されたり
除名されたりしたら
会員は沈黙しますよね
黙って組織から離れる方が得策です






公明党の問題点って何なのでしょう
良いこともたくさんして
法案も成立させてきました
でも公明党というだけで
結局信用されないところがある。





それは立党の原点から考えることが
必要かと思うんですね。


公明党は当時は創価学会の文化部として
地方選挙や参議院
学会の会員を立候補させて
政治の場に送るということが目的でした。


当初、創価学会
「総体革命」とか
王仏冥合」とか
唱えていました。
どういうことかというと
社会のあらゆる場に
創価の信仰を持った人がたくさん出れば
真の平和社会が実現される
そういう考え方です。



ここで勘違いしないでほしいのが
創価学会は政治の世界だけで
総体革命を考えていたわけではありません
創価学会が主であって
その下に例えば
公明党とか、
民音とか、
創価大学とか、
戸田記念国際平和研究所とか、
いろんな分野に進出し
もって総体革命として
平和社会を現出していく
そんなことを考えていたんです。



王仏冥合」の「王」という文字は
ですから政治だけのことではないんですね
創価学会では政治だけでなく
いろんな分野に創価の信仰を持った人材を
送るべきだと考えていました。
ただ創価学会の一部の会員が
王仏冥合」の「王」とは
公明党そのものだと勘違いしてしまった
そういった問題点もありました。
言葉的に会員からも外からも
そういう風に誤解されかねない
ですから
あの政教分離宣言があったわけですね




この頃の思考法から
現在に至るまで
創価学会のメンタリティは
実は変わってないんだと思います。



つまり
今でも創価学会本部や熱心な会員は
要するに創価の信仰を持った人が
社会に多く進出すれば
それこそが広宣流布であり
それによって
平和な社会が現出されると
今でもそう考えているんだと
私は思うんですね





社会が公明党に考えている不信感の
最大の原因は
その学会員の考え方が
基本的に昭和40年代から
全く変わっていない
そのことにあると思うんです。
信心をしている人が
たくさん国政に出れば
それだけで社会が変わると
ずっと創価学会は考えているんです。




その考え方、そろそろやめませんか?
なぜ公明党が必要なのか
そういったことを具体的に考えないと
いけない時代に入っていると思います。
本当に公明党が国会で多数派を握り
国民の大多数が創価学会の信徒になったら
本当に平和社会って実現するんですかね




私は違うと思います。
創価学会の思想で、
公明党という政党が必要であれば
それが何を目指して
具体的にどうすることが大事なのかと
考え直さないといけませんね。




たとえば日本共産党
綱領で最終目標にしている
国民連合政権とか
民族民主統一戦線とか
本当にそれは正しいのかと
考え直すこともできると思うんですね
綱領は変えないのか
それとも変えるのかと議論しても
いいとは思うんです





じゃあ、振り返って
公明党の哲学って何なのか
ただ創価学会の信徒を
たくさん政治の場に送れば
それだけでいいのかと



だからいつまでたっても
公明党創価学会と一体であると
(まあ実際一体なんですが・笑)
思われるし、
公明党創価学会のための政党だと
思われるし、
私たちも創価学会に入らされるんじゃないかと
思われてしまうわけです。




では公明党はどうするのかと
例えば牧口初代会長の
創価教育学体系を引っ張って
半日学校制度を作るとか
その思想の奥に何があるのか
どんな日本社会を構築するのか
どういう国にしたいのか




自由民主党の悲願は
自主憲法制定でしょう
今の自民党の主体は森派ですし
竹下派民進党等に
バラバラになってしまいましたから
ちなみに公明党は昔から
田中派と関係が深かったわけですよね
竹入さんの時代なんかそうですね
市川市と小沢氏の関係もそうでした
ずいぶん恩義があると思いますけどね
まあここではあまり書けませんが。



一つの方法として
現在の公明党の立場で
与党を形成するなら
もう自民党と合流しても
いいんじゃないかと思いますけどね(笑)
要するに旧竹下派の思想をついで
自民党内の唯一のハト派として
公明派、
あるいは山口会派を結成すると(笑)
自民党からの脅しも
ずいぶんなくなると思いますが、
その代わり
草川さんとか市川さんみたいな
老獪な議員が公明派内に必要になるでしょう
下手すると飼い慣らされて
終わりになりそうですから
まあ高木さんなんかが交渉役ではいいのかな
足元をすくわれないように
気をつけてほしいですが






それは極端な案として



本当は公明党には
衆議院から撤退してほしいです
小選挙区は大変という事情もあるけど



それ以上に
公明党は政治の監視役というのが
本来の原点なんじゃないかと思うんです。
「心して政治を監視せよ」というのが
戸田会長の言葉だったんじゃないかな



国会のチェック機能というのは
本来、参議院なんですよね
衆議院の暴走を止めて
本来の目的に立ち帰らせる
そういうものが参議院の存在意義でしょう
だからこそ参議院は「良識の府」と
されるわけですから。





ちょうど現在の公明党代表
タイミング的にも
ちょうどいいんじゃないかな(笑)
ここで衆議院から撤退しても






方法論を考えるだけでなく
実際に公明党は今後
日本社会をどうしたいのか
その明確なメッセージを
出さないといけないでしょうね。
そうでないと
いつまでたっても
創価学会の信徒が増えることが
平和社会の実現だと思われて
いつまでたっても
信用されません



ただ創価学会の信徒が増えても
平和社会なんて実現されませんって
昭和35年から半世紀以上経て
創価学会の信徒数は800万世帯を越えました
では平和社会が実現されたんでしょうか
社会はより素晴らしい社会になったのか
創価学会の力で?



その切実な反省の上で
創価学会公明党も再出発しないと
いけないでしょう。
それらの過去の総括、
その上での再出発、
そういったものが
今の創価学会にも公明党にも
重石のようにどっかりと
乗っかってしまっています



信徒が増えれば
それだけでよかったんですかね?
御本尊がたくさん授与されれば
それだけでよかったんですかね?
公明党の議員がたくさん当選すれば
それだけでよかったんですかね?
それが広宣流布なんですかね?


何か考え直す必要が
ありませんか?
私はそう思います。


























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