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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

御書を読むことについて

初代から三代の会長を

永遠の指導者としました。


でも根本は日蓮ですよね?
まさか宗祖日蓮の遺文より
池田名誉会長の指導の方が
優先されるってことはないですよね?


ところが、今の創価学会員さんは
実質的に日蓮の御書よりも
池田名誉会長の指導を
優先しています
御書なんて持ち歩きません。



私、覚えてますけど、
昭和50年代後半くらいまで
学会員ってよく御書を読んでました。
私の父も母もよく読んでました。
会合には御書を持参するのが普通でした。




本当に今、学会の皆さん、
御書を読まれません。
御書なんて持って歩きません。
会合に御書を持ち歩かない方が普通です。
御書講義なんて大白蓮華を読んで
池田名誉会長の指導を引用して
それで終わりです。
御書の中にどういう思想があって
現代ではどのような意味を持つのか
語り合っていた、昔の創価学会
どこかにいってしまいました。



実質的に池田名誉会長の指導が
日蓮の遺文より優先されているなら
それは日蓮仏法ではないですよね。



そして日蓮の御書を読む際に
日寛教学が前提とされているなら
それは実質的に日蓮正宗の教義ですよね




要するに日蓮遺文を読んで
こう思うとか、どう思うとか
そういうのが今の創価学会にはない。
戸田会長の言う「剣豪の如き修行」がない



だから妙観講さんになんか言われても
何も言えないんです。
対論どころか対話にさえならない
法論とか対論というものに
私はあまり肯定的な意味を
見出さないのですが、
それどころか、普通の対話にさえならない
要するに学会員さんが日蓮を知らない
日蓮の御書を知らないし
日蓮がどういう思想なのかを
ほとんど考えてないんです。


こういう実情をまさか信濃町
知らないとか言うんでしょうかね
今こそ教学運動に
取り組むべきじゃないでしょうか
選挙支援とか財務の申し込みとか
そんなことをやってる場合じゃない


むしろ
御書を読んでないというよりも
創価学会の皆さんは
いろんな情報を
広く受け入れることがないんです
そういう情報を受け取らず
多くの方は免疫がない状態なんです。
せいぜい聖教新聞大白蓮華だけ読んで
あとは何もない。



日蓮本仏論の見直しを」とか
公明党はおかしい」とか言うと
全然わからなくてポカーンとするか、
過剰に反応して「敵は内部にあり」なんて
言い出して攻撃する
どちらかしかないんです
つまり客観的な目を養っていないので
スルーするか、拒否するかしかできない



で、創価学会の中にも
意識的に考える人たちも出てきて
いろんなことを言う人たちも出てきました。
でも、その人たちの思考回路も似ていて
結局自分たちと違う思想が出ると
スルーするか
過剰に反応して攻撃するか
どちらかしかないんです。



私は今の創価学会公明党支援は
見直すべきかと思いますが、
公明党が安保法制に賛成していることに
私は明確な反対の意思表示はしていません
例えばそんなことを言うと
アンチ公明党の人たちは
私を攻撃し出すかもしれない(笑)



自分と違う思想を受け入れられない
客観的な立場に立って
相手の土俵に立てないんです
無菌状態で育って来たので
違うものを受け取れない



池田先生が絶対と思っているから
昭和52年路線の池田会長の過ちを糺すと
過剰に反応して聞く耳すら持てないんです
池田先生は絶対ではありません
私は多くの過ちを犯してきたと考えています
少なくとも昭和52年路線は過ちであり
池田名誉会長の責任を明確にする
その必要性を感じています。




このブログを読んでいる人の中の多くも
私が池田先生の批判をし出すと
たぶん過剰に反応して
読むのをやめてしまうか
攻撃したくなる人が
たくさんいると思います。
でもそれって
無菌状態で育った
今の創価学会員の姿なんです
自分と違う思想を受け取れないんです
離れられないんです。
なぜか
自分の信仰が揺らいでしまうからです
御書を読んでいれば
信仰は揺らぎなんてしないのに




私は池田先生の仏法を
信奉しているのではありません。
日蓮仏法を信奉しているんですから




師匠が間違っていれば
師匠を糺す、諌めることも
弟子として必要なことです
多くの幹部は
池田名誉会長に進言もしています
原島嵩氏は実際に諌めもしました
結果的に池田会長は
原島氏を拒否してしまいましたが
強い進言は受け入れられないのでしょう





池田名誉会長の著作のほとんどが
ゴーストライターによる代作であったことも
きちんと公表して反省すべきだと思います
私たちはそれを信心で受け止めてきました
けどやっぱり
正しくなかったんじゃないでしょうか





『人間革命』は篠原善太郎氏に執筆して頂き
トインビー対談は最初の雑談だけ録音して
あとは代筆グループによる交換書簡
桐村さん、原島さん、上田さん、
そういった面々が代筆をされました。




激励の書籍の押印だって
第一庶務の会員奉仕局の方が
胸中で唱題しつつ代わりに押していて
池田名誉会長は印鑑さえ押していません






会合に届けられる
池田名誉会長のメッセージも
みんな第一庶務が書いたものです
池田先生は書いていません



本部幹部会のスピーチ原稿だって
ご自身で書かれてなくて
代筆で書かれたものを
本幹で読んでたわけです。
だから途中で時間がなくなった時に
「あとは聖教新聞に載せるから」とか
本幹で言われてたわけです
実際にご自身で書いていませんから
聖教新聞に原稿持ってった方が
話が早いわけです。



現在の『人間革命』も代筆ですが、
どうも複数の方による執筆のようなので
たまにストーリー展開が流れとして
おかしいところがあるんですね



幹部のT氏の発言によると
現在の池田名誉会長の健康状態は
きちんと意思表示はできるとのこと
その判断力は有しているそうです
執筆は実際難しいようですが、
意思表示ができるのであれば
実際の代筆とか
そのような実態をもうそろそろ公表して
過去を清算して
反省すべきは反省すべきです




それが未来の創価学会にとって大切で
どこまでが池田名誉会長の思想で
どこからが違うのかということを
明確にしないと
後世に過ちを残します
『御義口伝講義』なんて
原島嵩氏が書いたものじゃないですか。
どこまでが池田名誉会長の思想なのか
実際のところ、本当にわかんないんですよ



その実態をちゃんと反省の上で
公表すること
ところが、創価学会の皆さんは
そういうことを言うと
頑なに拒否することしかできないんです
耳塞いじゃうんですよ



「池田先生は正しい」
「池田先生は間違っていない」
「週刊誌の情報を信じてはいけない」
「ネットは嘘だらけだ」



そんなことばかりです。学会員さんって。
だから本当のことを
話せなくなっちゃうんです




そう信じたい方は信じるのも自由です
その自由を侵害する権利は私にはないです
だから私の言ってることが
全部嘘だと言って拒否しても
それでも構いませんが、





情報の無菌室みたいな
創価学会の庭で育つと
いろんな多様な情報でも
拒否することしかできない
本当に私も
今の創価学会を変革する難しさを
その辺りに感じています




多くの疑いを自身の信仰に持ちつつも
その疑いを一つ一つ検証して晴らしていく
その中で教学の研鑽があり、
その中で自身の信仰が深められていく
信仰とか教学とかって
そういうものです。
はなから拒否したりするものではありません。
それではただの盲信です。
無義曰信って言うじゃないですか
無義曰信は不義曰信とは違うんでしょ?




若い頃、創価班、牙城会の
広宣部、言論企画部で
顕正会妙観講と対論対策を
勉強していたことがあります
多くの対論もしました
多くの妙観講さんと対論をし
回答不能まで追い詰めてしまった
そんなことがたくさんありました




でも途中で気づいたんですよね
対論って何も生み出さないんです
破折して相手を木っ端微塵に粉砕しても
相手が傷つくだけで
そこに慈悲があったのかって
今は自分のしていたことを
強く反省しています




ただ
私は日蓮正宗の教義には
全く共感していません
御本尊の問題、本仏の問題
とりわけ日寛の教義の問題
全く共感しません




その理由とかをこのブログで
書いてもいいんですが
あまり詳しくは書けません。
教義の問題については
恐らく論文みたいになってしまって
たぶん学会員さん、読まないと思う(笑)
御書も読まないのに
論文なんて読みますかね
読まないですよね




ですから、私は言いたいことを
だいぶ抑えてここに書いています。
本当は持ってる資料も全部曝け出して
情報開示しちゃえばいいんですが、
学会員さん、たぶん読まないし
読んでも拒否しかできない





あの頃、妙観講さんと対論をしてた頃
自分は正しいことをしていると信じてました
確かにあの勉強会で多くを学んだことも
疑いのない事実です
でも本当は学んだことを活かして
対論ではなくて対話をすべきだった
今になってそう思います。
でもそれが当時はできなかった
それは、私もまた当時は創価学会であり
自分の信仰が揺らぐのが怖かったんです
対論で相手を言い負かして
自身の信仰が揺らがないように
維持しておきたかった
ただそれだけだったんです
なんて浅はかな信仰だったのかと
今になって反省しています。



今の創価学会
いろんな情報を遮断して
情報の無菌室のような状態にあります
だから創価学会員は
自分の先入観と違う情報があると
スルーするか拒否するかしかできません



創価学会の内部のメンバーでも
学会本部に対して
批判的な人たちもいます。
しかしその会員たちでさえ
自分たちの先入観と違う情報が来ると
強烈に拒否して攻撃する人がいます
創価学会の無菌室状態の裏返しにすぎません


真の改革とは破折ではありません
相手を言い負かして正義を証明するなんて
その発想自体がおかしいです
事実を見つめて、
一つ一つ疑いを晴らしていくことなんです
そして根本にすべきものこそ
日蓮の遺文であり、御書なんだと思います。
夫れ賢人は安きに居て危きを歎き
佞人は危きに居て安きを歎く」
とありますものね。