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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

広布基金っていつから?



広布基金っていつから始まったんですかね

いろいろと調べてみると
いろいろ驚くことがあります


財務部員ができたのは昭和26年7月
ちょうど戸田会長が
就任してすぐです



活動資金は当時
戸田会長によって
動いていたのね
だけど事業が破綻しちゃって
理事長を辞任
で、
有志がみんなで
お金を出したりしていたらしいんです
それを禁止して
財務部員制度にしようと



ところで
昭和40年代の頃の財務部員って
信心がちゃんとしてて
お金に余裕のある人しかなれなかった
当時の学会と言えば
「病人と貧乏人の集まり」だったから
もう学会の中ではもうエリート扱い
聞いた話では
財務部員のバッヂがあったらしいっす
これは見たことないんだよなぁ
本当かな、バッヂって



まあそんな財務制度で
最初から収支報告なんてありません
昭和40年代の納金額は
1回1,000円で
年4回計4,000円の
定額制だったみたいですね




戸田会長は財務の目的として
「本山整備」
「寺院建立」
としていた
一方で、小説『人間革命』にも確か
出てた気がするけど
創価学会の経費については
必要最小限度
無理な集金はしてない





で、この頃って
会合とかってお寺でやってたのよ
私の両親の結婚式は昭倫寺でしたよ
旧・中野教会の歓喜寮です。
池田会長もご授戒したお寺だそうで
そんなとこで結婚したかいなーって
大人になってから気づきましたっけ
そういえば
お寺とかで昔は唱題会もやってましたね
子ども心に覚えてますよ〜
みんなでお寺に行って
私もお題目唱えましたっけ
小さい頃の話ですけどね



で。大きな会合は公共施設ですよ
この当時は。
例えば日大講堂とかね





だから会館とか
無理に作らなかったんですね
当時は
職員なんてそんなにいなかったでしょ
池田会長の頃になっても
昭和40年代になるまではそうでしょ
日大講堂で会長就任もしたし
会合も
民家とかでやってたんじゃないかな






で、これが大きく変わったのは
正本堂建立以降なのよ
ここが大きな問題







総本山に正本堂建立供養しようと
そしたら
たった3日間で
355億円集まっちゃったのよ
池田会長就任の5年後
昭和40年の話ですよ
当時のお金で
「355億円」ってさ
どんだけの金額なのよ
これマジですよ
実際にはその後もっと集まって
400億円くらい集まったって話ですけど








この頃、創価学会って
創価大学開学もあったし
(開学も寄付を募りました)
聖教新聞社の建設とかあって
財務状況の立て直しが
必要だったわけです




で、正本堂が建立された
昭和47年「広布第二章」
この頃から学会の教義が
ちょいちょいと
おかしくなってきたのよ
ここからいわゆる
"52年問題"ってのは
もう一歩でしかない




このへんからでしょ
いわゆる
「会館は現代の寺院である」とか
「寺は結婚式とかの儀式だけをする場」とか
「在家の団体も供養を受けられる」とか
いわゆる昭和52年の大百蓮華に載った
仏教史観を語る」とか
あのへんの話になってくるわけですよ
このへんの史料はいろいろ読んでみましたけど
だいたい昭和48年から
昭和52年くらいに集中してます
いわゆる「52年路線」です









昭和49年に
寺院に変わる施設の建設をって言って
「特別財務」ってのが出てきた




この頃から一気に
方面の中心会館
研修道場とかを
学会が作り出した
昭和49年以降に
たーくさんいろんな会館
できたんじゃないですか?




創価学会神奈川文化会館って
できたの昭和49年ですよ



富士桜自然墓地公園って
できたの昭和55年ですよ
みなさん
思い出してくださいって
ちょうどこの前後じゃないっすか。
お金が創価学会
だんだん回るようになったのって




52年5月に特別財務は中止
ここで財務部員は
「広布部員」になります




1口1万円から
何口でもOKというシステム
今度は広く会員から募る形をとった
銀行振込はこの時はまだで
たぶん平成元年とか
それくらいからなんじゃないかな






創価学会としては
広布部員は
強制ではないと
あくまで個人の自由であると
財務部員の拡充だし
でもね
財務の目的って
あまり明確化されなかったのよ
広布部員の要件も
会員であれば基本誰でも大丈夫。
池田名誉会長の総講頭復帰に伴う
「200ヶ寺寄進」も名目に使われたらしい
これは本当かな?わかんないけど
でもありそうですね




池田会長が
昭和54年に会長辞任して
名誉会長になり
昭和60年代に向けて
池田名誉会長が
再び指導をするようになった
この時期ですね
ちなみに
関西の6段円塔の青年文化祭は
昭和57年です





で、昭和61年から
バブルが始まるんです〜
怖くないですか?
私、このへんのこと
調べてて怖くなりました
この頃からですよ
いわゆる「3桁」の
広布部員とか出てきたの
下手したら
「4桁」とか聞きましたよ
信じられませんでした
「3桁」って要するに
100万円台の寄付をするってことでしょ






どれだけ
学会本部にお金が集まるんですか
すごい金額ですよ
この頃
本部職員の待遇が改善されます
みんなお金持ちになったんです




同時にこの頃
最高幹部の退転・離反が相次ぎます
つまり
私がすごく危惧しているのは
この時期に相当数の幹部が
金で狂ったんじゃないかってことです
離反した人だけじゃなくて
黙って今でも学会にいて
幹部やってる人の中でも
お金の使い方が
派手になって
実はおかしくなった人って
いるんじゃないんですかって
そういうことです



今、本部職員って豊かです
ボーナスも出ます
年金制度もありますよ
息子さんを創価大学に送って
生活できるだけのお給料も出ます
でもそのお金って
どこの誰のお金なんでしょうね




私は現在まで続く学会の問題って
いろいろ語れると思うんですけど
一つはお金の問題だと思います
学会はお金を持ち過ぎたのかなって



確かにね
宗教的な情熱から
本当に本門の戒壇を建立しようと
正本堂を建ててしまったって
すごい話です
あの頃の私たちって
宗教的な情熱に燃えていたんです
ある意味で躁鬱の躁みたいに(笑)



(追記)・・・・・・
まあ本当は厳密に言うと
正本堂はまだあの時点では
本門の戒壇ではなくて
ただの本堂なんです
だから妙壇内陣には
おシキミがないんですね
広宣流布の時になったら
日蓮正宗の教義によると
大石寺が「本門寺」に名前が変わり
正本堂妙壇におシキミが供えられ
それで「本門の戒壇」になるんですね
ちなみに広宣流布が達成された時の
第3祖日目の再誕とされています
以上余談終わり
・・・・・・・・



でもそれが
大変な金額のお金を生んで
幹部の心を狂わせて
上層部の心を狂わせて
トップの心を狂わせて
お金に狂った人たちを
作ってしまったのだと
私個人はそう考えています。
同時に今でも
そういう宗教貴族が
信濃町には
存在してると思います




誰とは言いませんよ
誰とは




以前のブログ記事に書いたように
法華経には本来
僧団に対する供養という考えがありません
法華経を授持することで
供養の意味を果たしているんです
だから
財務なんてやらなくていいんです
広布部員になんて
ならなくていいんです





もう財務なんてやめましょうよ
本部職員って必要なんですか
宗教的な思いがあるなら
働きながら戦ってもらいましょうよ
それでも必要ですか
SGIがあるからですか?
組織が大きくなったからですか?






お金なんてなくていいじゃないですか
金がなくて
ストーブが買えなくて
寒さに震えてた
子どもの頃が懐かしいなぁ
当時の地区担さんが
そんな私たちの家を見て
涙を流して
石油ストーブを持ってきてくれて
(後で聞いたら息子さんのストーブを
部屋からかっぱらってきたらしい・笑)
火を点けたら
暖かかったこと!
あのストーブでどれだけ
私たちの心が救われたか
わかりません



仏壇の前で感謝の祈りを捧げました




電気が止まって
ガスも止まって
ローソクで生活して
夜逃げする直前に水まで止まって
公園の水道から
ホースで水を引っ張ってきて
家族で水風呂に入りましたよ



貧しくて貧しくて
ローソクの明かりで
夜の勤行しましたよ
懐かしいなぁ





そんな貧しさってわかります?
今の幹部にわかります?
当時はわかる人がいっぱいいた
みんなみんなビンボーでさ
金がなくてさ
集まって題目あげて
頑張ろうって
そうやって生きてきたんだよね
わからない幹部になんて
教えようなんて思わないですけど




もう財務やめましょうよ
もう一度原点に戻りましょうよ
何のための財務だったのかなって




昭和40年
「正本堂供養、3日で355億円集まる」
昭和47年
「広布第2章」
「正本堂建立寄進」
昭和49年
「特別財務」
「会館建設が増え出す」
「52年路線に繋がる発言がこの頃から」
昭和52年
仏教史観を語る」
「学会の会館は現代の寺院・発言」
「広布部員制度へ。一口1万円から」
「宗門と学会の対立が激化」
昭和54年
「池田会長辞任」




とまあこういう流れです
別に流れだけ見て
何も感じなければ
それはそれでいいんです
ただ私個人はやっぱり
正本堂建立くらいから
学会にお金が入ってきた
そこからなんか
おかしな流れを感じるんですよね
これは個人的な感覚で
否定してもらっても
全然構いません
みなさんはどう感じますかね