いつもみなさん、ありがとうございます。
「活動を楽しくやる」というのが私と私の母のポリシーでした。
ですから、座談会の企画とか、セミナーの企画とか好きでしたね。
創価学会は活動家として上に行けば行くほど、精神的にキツくなってきます。なぜなら布教や新聞営業などの成果として目に見える数字、結果を出さないといけなくなるからです。楽しいのは末端の一部員ぐらいからせいぜい青年部の地区幹部くらいまでで、部長から本部長を経て圏幹部、分県幹部くらいになってくるとかなり締め付けがキツくなります。
定例報告は毎週のようにあり、家庭訪問数と結集数、布教数等を入念に上からチェックされます。圏幹部から本部の数字がおかしいとか、数があがっていない、とかそんなことをよく言われたものです。
そのうち智慧を身につけまして、数字は適当に上にあげるようになりました。これを読んでいる活動家の幹部の方は身に覚えのある方も多いのではないでしょうか。そもそも報告の数など本質ではないでしょうし、現場で戦うことが尊いことだと私もかつて思っていましたから、徐々に数字は適当になりました。
つまり組織活動に成果を出さないようなものは否定され、成果を出すことが至上命題とするのが創価学会本部の本質なのかと思います。
どんなにきれいごとを述べても、創価学会は最後は結果を出すか出さないかが絶対的な評価基準になります。
追記:
そんな成果主義は元々は創価学会だけに特徴的なところだったのですが、最近は大石寺の法華講さんも創価学会の成果主義を真似しだしているようですね。布教に煽られる法華講さんも最近は少なくないようで、非活を選ぶこともよくありますから。