気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

陽明学の発想。

いつもみなさん、ありがとうございます。





さて私は以前の記事で日蓮思想に儒教の影響があることを指摘しました。
また池田大作氏の「親孝行」という発想も多分に儒教的な考え方であることも書いています。





「『立正安国論』の儒教的な発想」

儒教における孝養」

「池田哲学とは何か」



ところで、儒教には簡単に言うと陽明学朱子学があります。


わかりやすく書いてしまうと朱子学は「大義名分をあれこれ議論する」考え方です。
例えば朝鮮半島で用いられたのは朱子学でしょう。あれこれ大義名分を議論するんですね。徳川幕府がとったのも朱子学です。


これに対して陽明学というのは「知行合一」と言って行動の学です。「知ったことは行わなければいけない」とするのが陽明学の考え方です。
例えば大塩平八郎陽明学です。陽明学の考え方から行けば「政府が悪いことをしている。だから政府を倒さなければならない」となります。武士が陽明学を学ぶと幕府に反抗する人が出てきます。だから徳川幕府朱子学だったのでしょう。つまり大義名分をあれこれ議論すればそれでよいと。幕府はそれなら安泰なわけです。


ですから幕末の多くの志士たちの発想は多分に陽明学です。外交官官邸の焼き討ち、生麦事件桜田門外の変等は陽明学の考え方によっています。「悪いものは倒す」と行動することが陽明学としては正しいのですから。
西郷隆盛陽明学的な発想です。


三島由紀夫はとても陽明学の発想が強いと思います。ここまで読んだ方はわかると思いますが、陽明学は革命思想です。非常に危険な発想です。



余談ですが、池田大作氏がかつて創価大学生に薦めたとされる日本文学は井上靖水上勉、そして三島由紀夫だったと言われています。



日蓮の発想も陽明学的です。
同時に戸田城聖池田大作の発想も多分に陽明学的です。
もっと言ってしまうと、かつての創価学会の組織の考え方は陽明学的な発想に彩られています。


現在、創価学会の内部から公明党の在り方や信濃町創価学会本部を批判する声がネット上で多く上がってきています。
かつての活動家たちが信濃町の改革を訴えて批判するのは陽明学の発想です。


公明党は政権与党になってしまっています。そしてその政府に対して多くの国民には不満があります。それなら「そんな政府は倒そう」と行動するのが陽明学であり、同時にそれは日蓮の発想でもあり、かつての創価学会、戸田や池田氏の発想だったのです。


創価学会員さんや大石寺信徒さんが、例えば信濃町を弾劾し、公明党を倒そうとして行動してもそれは自由ですが、所詮それは陽明学の考え方なのです。



多くの学会員さんはそのことに気づかない。つまり自身の思想的な陥穽に自ら気づくことができなくなっています。思想的な陶冶が浅く、文献による検証や思索が組織内では軽視されているからです。
多くの創価学会幹部は「理屈よりも行動だ」と言います。「仏法は観念ではない。実践だ」とも言います。
しかしそれらの発想は陽明学にすぎません。



池田氏の生命至上主義。

いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私は池田大作氏の思想について、その内実は大石寺・日寛教学の大胆な敷衍と解釈にあり、戸田城聖の生命論と親孝行に見られる儒教的な発想だけで、特にオリジナルなものは存在しないと考えています。


「池田哲学とは何か」


「忘れ去られる池田思想」



ところで、創価大学教授・高橋強氏の『中国における「池田思想」研究の動向』によりますと、2013年3月2日、「池田大作平和思想研究国際フォーラム」が開催され、また同年11月23日、「21世紀の生態文明に向かって」のテーマのもと、広東省広州市において「池田大作思想シンポジウム」が開催されたことが知られています。この報告書によると午前中に高橋強氏を含む8名の基調講演の後、午後には22名による研究発表がなされています。


ところでこのシンポジウム招集人の一人、広東社会科学院の温憲元教授の発表は、このシンポジウム全体の問題意識が反映されているとして、高橋氏は概要を紹介しています。つまりこの温氏の池田理解こそが、このシンポジウム参加者に共通する池田思想への理解であるということです。
概要を一部紹介しましょう。


「池田の生態文明思想は、生命尊厳を中心とし、生命尊厳と生命倫理をもって道徳的感情に訴えかけ、父母に孝行し年配者を尊敬するように、天地や自然を尊重し、慈悲と思いやりをもって生命を大切にすることを望んでいる。従って池田の生態文明思想は生命尊厳を中心とする創価理論体系の重要な構成部分である。」


この後もいろいろ長く書いてあるのですが、要するに池田の生命尊厳の考え方から、人類中心主義を乗り越え、自然に対する寛容の精神を見出すことができるとのことです。


とすればですよ。
これらは1970年代の例えば『御義口伝講義』などに見られた、生命至上主義的な考え方であって、生命という観点から『御義口伝』を大胆に解釈する考え方が池田思想の特徴なのであって、その内実が後年にいろいろ形を変えながら、貫徹されているというのが、およその池田思想の理解なのではないかと考えられます。


ということは、中国の池田思想研究国際フォーラムの参加者が共通している池田思想理解は「生命倫理」という一点なのであって、そこに池田氏の思想的価値を見出しているということになります。それは例えば寛容の精神であったり、自然に対する多元的な社会の基礎であったりするということでしょう。



ただ私がこれを読んで感じるのは、「生命」ということを強調することこそ、池田氏の思想的な限界であるということです。
つまりそれ以上の内実が特にないんです。


例えば法華経薬草喩品の「雖一地所生、一雨所潤」を、多元的な生命や価値観の共存と解釈する『御義口伝講義』の価値観は、比喩としての薬草喩品の美しさを感じさせるものです。
ただそれ以上の価値観が特に私は感じません。
生命ということが絶対的な至上倫理とされても構わないのですが、そもそも「生命」至上主義など、別段池田氏のオリジナルの考えでも何でもないと思うんですね。



生命倫理という言葉がありますが、これらの思想の代表的な研究者といえば、例えば森岡正博氏や加藤尚武氏などでしょう。
1970年代にアメリカで用いられた bioethics の概念が日本に渡って来て、脳死問題や安楽死の問題、臓器提供の問題などで生命倫理学ということが語られたりしたことは広く知られていますし。




池田思想に積極的な価値を認める方たちは、基本的に池田氏の生命至上主義を理論づけるために、そのような講演や研究をされているようですが、そもそも「自殺と安楽死」のテーマについてでさえ池田氏とトインビー氏で見解が一致していません。
これはトインビー対談を読むとよくわかることなのですが、池田氏とトインビー氏は殆どの論点で考え方が一致しながら、実は最も重要な生命倫理の問題、「自殺と安楽死」についてのみ見解が一致していないんですね。



池田思想の内実を「生命至上主義」と考えるのは自由なのですが、トインビー氏の提案する「人間の持つ普遍的な自殺や安楽死の権利」という考え方と、それを決して認めない池田氏の齟齬こそが、創価学会が今後克服するべき思想的課題なのではないかと私などは思います。





大石寺写本『御義口伝』の改竄。


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※画像は1295年刊行の徐行善による『科註妙法蓮華経』の画像です。




いつもみなさん、ありがとうございます。
さて『御義口伝』には以下のような一節があります。

「補註の四に云く此の開塔見仏は蓋し所表有るなり、何となれば即ち開塔は即開権なり見仏は即顕実なり是れ亦前を証し復将に後を起さんとするのみ、如却関鑰とは却は除なり障除こり機動くことを表す謂く法身の大士惑を破し理を顕し道を増し生を損するなりと。」
(御書全集741ページ)


ところでこの引用は『補註』であるとされていますが、実はここを『補註』としているのは大石寺版の御書のみで、それ以外の版では全て『補註』ではなく『科註』とされています。


この引用部分は宋の従義の著作である『法華三大部補註』ではなく、実は元の徐行善によって編集された『科註妙法蓮華経』に正しく存在しています(記事冒頭の画像参照、また以下のウェブを参照のこと)。
(ウェブで参照される場合は第4巻の48ページ目を検索して頂くと当該の箇所をご覧頂けます。)


実はこのことは池田大作の『御義口伝講義』でも指摘されています(『御義口伝講義』上、23〜24ページ)。


徐行善の『科註妙法蓮華経』の刊行は元貞改元元年、つまり1295年です。日蓮滅後13年に刊行されています。
つまり『御義口伝』には日蓮滅後13年に編集された『科註』の引用がされているということです。そして大石寺版ではそのことを隠すかのように「科註」の文字を「補註」に改竄しています。
したがって『御義口伝』は後世の創作・偽書の可能性が高いということであり、大石寺の写本ではそのことがまるで覆い隠されているかのように『科註』を『補註』と改竄してあるのです。



このような改竄は、以前にブログ記事で指摘したように、例えば『本因妙抄』にも見られます。つまり大石寺は自山の都合の良いように写本も改竄してきたのかと考える方が自然でしょう。『御義口伝』の信用性の低さはこのことからも推察できるかと思います。
そもそも最古の写本が天文8年(日蓮滅後257年)の他山の八品派のものしか提示できない現状で、どうやって自山の正統性を証明できるというのでしょう。噴飯ものというものです。



参考文献:
朴鎔辰『元代『科註妙法蓮華経』の刊行と流通』印度学仏教学研究第64巻第2号、平成28年3月。





昭和51年当時の原田稔氏の師弟観。






いつもみなさん、ありがとうございます。
さて現在の創価学会では初代・二代・三代の会長が「永遠の指導者」だとしています。
言わば牧口、戸田、池田を根本の拠り所として、そこに信心の血脈観を求めてしまったのだと思いますが、私などはかつての創価学会の昭和52年路線に戻っている印象を受けます。


例えば原田稔さんですが、原田氏は昭和51年3月号の『大白蓮華』で次のように語っています。当時は原田稔学生部長です。




「向こう二十五年間の、わが青年部の運動、実践の基本思想として、次の三項を青年部最高会議の協議に基づき、提案いたします。
まず第一に仏法に説く師弟の道を貫くことであります。
遠くは、日蓮大聖人と日興上人という峻厳なる師弟の道がありました。
一切の法皆是れ仏法であるが故に、その原理、方程式を第二代戸田会長は、初代牧口会長を師として、創価学会の血脈の師弟の道をつくられた。仏法に説く現当二世とは、即ち『現』とは師、『当』とは弟子であります。また師匠とは原理であり、弟子とは原理を応用、展開していく意義であります。そこにこの世で最も尊くして強靭な、師弟不二〜〜二にして不二の、いわゆる二にして二でないという、他の世界にはみられぬ尊い姿が、存立しておるのであります。
創価学会にみる、牧口初代会長と戸田前会長、さらには戸田前会長と池田会長という師弟の峻厳な関係も、真実の仏法の実践者として当然の帰結であったと申せましょう。」
原田稔学生部長、『大白蓮華』昭和51年3月号)



大石寺からは当時、創価学会に対する質問があり、ここで創価学会は回答として「牧口会長と戸田会長との間に『血脈』があったという表現は今後使わないようにしたい」という趣旨の回答をしています。


しかしながらこの昭和51年3月の原田稔氏の発言を読むと、現在の創価学会の三代会長を「永遠の指導者」とする考え方と非常に似通っている印象を受けます。


つまり現在の創価学会の教団の絶対化(創価学会仏論)は、その淵源が昭和52年路線にあり、師弟の血脈ということからそこに連なる弟子の絶対化、すなわち教団本仏論が展開されているのだと私は考えています。






広宣流布の模擬試験って。






いつもみなさん、ありがとうございます。



さて現今の創価学会という団体の異様さに目を向ける時、私は戸田城聖という人物に着目せざるを得ないと考えています。


例えば戸田が亡くなる直前、1958年3月16日に大石寺で行われた「広宣流布の模擬試験」という会などです。



岸信介を呼んで(実際には当日代理の安倍晋太郎氏が出席)大石寺の大講堂に6,000人の青年を結集。「広宣流布の模擬試験」をやろうというんですね。


で、実際に何をやったかというと、寺の境内で豚を屠殺。ドラム缶で豚汁を作って参加者に食べさせる。そのための箸とお椀を持ってくるように指示を徹底。
本人は車駕に乗り、本山内を練り歩く。本来「車駕」とは天皇が乗る乗り物のことです。


戸田城聖が後継に託す儀式というのは、軍隊式の組織に結集をかけて、本山内で豚を屠殺して豚汁を振る舞い、天皇の乗り物「車駕」で本山を練り歩くというものです。
これが広宣流布なんですかね。




要は『三大秘法抄』にある「王仏冥合」の様子を戸田自身が実際にやってみたかったということなんでしょうね。



思えば姓名判断にこだわり、生涯に何度も改名をしている戸田城聖の姿もまた異様です。
創価学会の異様さを理解するためには、戸田城聖という人物を率直に知ることが大切かと思います。








成仏などしなくてもいい。

いつもみなさん、ありがとうございます。



さて日蓮本仏説に執着をされる方は、やはり教義としての凡夫即仏の考え、すなわち「凡夫本仏論」みたいなのを主張して、創価学会をいわゆる「民衆仏法」として定義づけておきたいみたいです。


まあそれはそれで思想の自由ですけど、私は別に凡夫である私たちに仏性など存在しなくてもよいと思っています。
そんなに成仏したいんですかね?
仏の命が私たちの生命に内在していて、それを顕現することが仏法なんですかね?
別にそれが仏法と考えてもいいんでしょうけど、それがどういうことなのか、私に納得いく説明が創価学会員からなされたことは一度もありません。


私は別に仏になろうと思いませんし、仏の生命が私の中にあるかどうかなんて知りません。なくても別に困りません(笑)。
私にとって重要なのはいかに生きるかという問いであって、本質が空でしかないとしてもそれでも虚数としての本質を求めざるを得ないのが人間の本質であるということです。


釈迦がそもそも仏の教えを説いた動機は何であったのか、その目的が万人の成仏であるとするなら、そもそも「成仏」とはどのような状態であるのかということです。
私は大パーリ・ニッバーナ経を依拠として、釈迦の最後の教えは「本質的な空性を悟り、怠ることなく修行をすること」であると考えています。その「悟り」を例えば「成仏」と言い換えても構いませんけど、私は別段言い換えなくてもよいと考えています。


私は別に成仏などする必要など感じていません。
私自身、別に自分に「仏性」が内在しているとも思いませんし、そんなものはなくても構いません。
「仏性」というものが内在しているのかということと、人間がいかに生きるべきかということは特にリンクするものと私は考えません。



聖教新聞の死亡記事の扱い。

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いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私がかつてバリバリの活動家だった頃、広宣部・言論企画部と暗躍して他宗との法論をよくやっておりました。
ところが、そんなある日、平成12年3月6日に戸田城聖第2代会長夫人・戸田幾さんが享年89歳で亡くなられました。そしてこの時の葬儀が学会葬ではなく常在寺によって執り行われました(同年3月12日・13日)。戸田幾氏は常在寺からきちんと戒名ももらっています。


そんな頃に広宣部と言論企画部に回ってきた学会側の文書がこんな感じのものでした(冒頭画像参照)。もちろん非公式のものです(笑)。


この中の問5の内容が興味深いので、ちょっと書いてみようと思います。



「Q5:聖教新聞での死亡記事の扱いが小さいのでは?
A5:聖教新聞では、一般に訃報記事を扱っても一段くらいであります。今回の幾さんの記事は、2面にも3段見出しで扱っています。
このことは生前の戸田家との関係から十分哀悼の意を表し、丁重に報じたものであります。
また、今回は戸田家の葬儀であり、学会としての行事ではありませんので、それをふまえた記事となっています。」


ということはですよ。
幹部が亡くなられた際、通常は2面に1段扱いくらいで載せるんだけど、戸田夫人の場合はやはり扱いとした3段扱いにしたということですよね。それが故人への哀悼の意を表したものだと信濃町側は当時考えていたということです。


そこから推察すれば、万が一にも池田大作氏が亡くなられた場合、少なくともこれと同格、つまり2面に最低3段以上の記事は割かないといけなくなるはずです。
これよりも小さく記事をもし扱うことがあれば、その扱いは戸田夫人の扱いよりも下ということになりますので、池田氏の功績に対してやや礼を失すると言われても仕方がないでしょう。
さてXデー、その時に何段の記事が組まれるか、要注目です。