気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「もっとん」さんのツイート。

いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さてTwitterアカウントを作ってから、何やらいろいろ議論になることも多くなりました。
その中でも今回は「もっとん」さん(@donmotton)とのやりとりを紹介したいと思います。本来、私は相手のアカウントをブログ上で特定することは原則しないことにしていますが、今回は「もっとん」さんご本人もTwitter上で「告訴でも通報でも何でもどうぞ」というツイートを頂きましたので、画像つきで紹介したいと思います。
 
 
 
画像を見ればご理解頂けるかと思いますが、「ク◯」「◯ス」等、相手を罵倒する言葉をこの方は普通に使われます。
この方の考え方からすると、私のような者は「ク◯」や「◯ス」と呼ばれて当然の者なのだそうです。
 
 
 
まあ私はいくら批判されても構わないのですが、私はこのような考え方をあまり好みません。自分と意見や思想の異なる人というのは社会には普通に存在するものでして、その人たちと共存すること、異なる思想とともに生きていくことは現代社会の一般的な理解だと思っています。
ですから、自分のように考えない人がいることは当然のことで、それは私も尊重しなければいけないと考えています。私がここで創価学会大石寺を批判しますが、それでも創価学会大石寺の信仰を貫かれる方にはその信仰の立場は尊重されるべきでしょう。思想信条は自由であるべきです。
 
 
ところが、この「もっとん」さんは、自分のように考えない人について、とりわけ池田名誉会長を批判する者に対しては口汚く罵倒して当然だと考えているのです。
いくつかTwitterでのご意見を紹介したいと思います。
 
 
 
「『気楽に』の管理人と『もっとん』という御仁のやり取りを見ていて、創価学会の病巣がよく見えた感じがする。『気楽に』管理人の視点はぶれてないが、『もっとん』という御仁は言を左右にして、印象付けの言動に終止、しかも言葉が粗すぎる。」
 
 
「この『もっとん』という御仁。数ヵ月前にいきなり絡んできた事があり、議論にTwitterは不向きという持論もあり、メールでのやり取りで意見交換を求めたが一方的に何も言ってこなくなった。実際に『気楽に』管理人のやり取りを見ると案の定、レッテル貼りばかりに終止していて本筋の中身が無い。」
 
 
 
さらに私が深刻だと考えているのは、ネット上にいる「池田名誉会長を絶対視するグループ」の人たちに、この「もっとん」さんの発言を抑止しようとか制止しようとする動きが全く見られないことです。つまり彼らの中では「池田名誉会長を批判する者は罵倒されて当然」であり、その文脈において件の「ク◯」「◯ス」等の発言は事実上容認されていることです。
 
 
 
一部の学会員さん(だと思いたいのですが・笑)が、池田名誉会長を尊敬し、絶対視するあまりに、徐々に原理主義的になり、池田名誉会長の教えが一つのドグマになってきている、そんな印象を強く受けました。先のツイートの引用の方も「創価学会の病巣」という表現を使っていましたが、私も同感です。
 
 
 
追記:
繰り返しになりますが、今回の記事につきましては「もっとん」さんご自身がTwitterで「告訴でも通報でもご自由に」という趣旨の発言がありましたので、あえてブログで公開することにしました。
今回の記事は「自身の教学体系が批判されることに対するアレルギー体質」ということを如実に語っている興味深い実例かと思いますが、この点に関して一ブログ読者の方から頂いた「反証可能性」というご意見が理解の参考になるやもしれません。
 
 

元職員三人の今後の資金繰り。

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いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は「元創価学会職員三名」の方々の今後の活動資金の問題についてです。


この方々は本年2017年年頭に活動資金が「8月までしか見通しが立たない」状況にあることをブログで正直に告白し、支援者の方々にカンパをお願いしていました(2017.1.12)。





ところで、このことについて、2017年9月現在となった今も、資金繰りについてどうしているのか、まだ言及がされていません。
私は別段この三名の方々がどのような思想を持ってどのような活動をしても、それらは思想信条の自由から尊重されるべきだと考えています。
ただ問題は、ブログでも明らかなように、すでに彼らは支援者の方より3000万円を超える借金をしていますし、また「借りたお金は一日も早くお返しします」ともしています。しかし、そのことについて「見通しが立たない8月以降」の現在、資金繰りはどうしているのか、ということに一切言及がありません。


確かに支援者がカンパをするのは支援者の自由なのかもしれません。けれど今ひとつ目的がわからないカンパをいつまでも求め続けるとすれば、それは支援者に対してやや非礼なのではないでしょうか。そもそも彼らの再就職の目標も本年の8月であったと記憶しています。そのことについてきちんと総括もなく、今後はどうして行くのか明確な説明もないまま、支援者にお金を出させるとすれば、それは誠意ある態度とは呼ばれないかと私は考えます。


サイレントアピールやカンパ等の活動で、少なからず彼らを応援してくださる支援者の方がいることはとてもありがたいことでしょう。そんな方のことを思えば、目標の期限が来たのに結果が出せなかったことについてはきちんと総括をして、今後の資金繰りをどうしていくのか、活動をどのように変えていくのか、進めていくのか、少なくとも説明をすることが支援者に対する最低限の責任であり、礼儀であると私は思います。






任用試験の範囲。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は毎年のように行われる任用試験(本年2017年は11月26日)で、創価学会が会員さんにいったい何を具体的に学ばせようとしているのか、『大白蓮華』2017年9月の任用試験特集号の中身を要約・整理してみたいと思います。この試験範囲は先日の聖教新聞(2017.9.12)の4面にも掲載されていました。


まとめると以下の感じになります。



1、御書『生死一大事血脈抄』2行分。
同抄は真蹟不存。「血脈」という語は日蓮の真蹟遺文に存在しない概念。信憑性の低い文献を2行読ませて、日蓮がほとんど使ったことがない「血脈」を学ばせる。


2、御書2行。「法華経を信じる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。」以上。


3、御書3行。「法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用いることなれ。」「負けるな!」「勝て!」以上。


4、日蓮の生涯を概観。生誕、立宗、『立正安国論』提出、松葉谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、『十一通御書』、竜の口と発迹顕本、佐渡流罪、塚原問答、二月騒動、三度の国主諫暁、身延入山、三大秘法、熱原の法難と出世の本懐、入滅、五一の相対、以上。


5、南無妙法蓮華経は「宇宙と生命の法」であり「成仏の根本法」である。根元の法が自身の生命を貫いている。あとは「生命」「生命」「生命」しか書いていない。凡夫も本来は妙法そのものとのこと。


6、即身成仏。法華経になんら説かれていない即身成仏の無理な主張。日寛の引用、我が身即日蓮という主張。


7、煩悩即菩提と生死即涅槃。戸田会長の相対的幸福と絶対的幸福。


8、立正安国と広宣流布創価学会こそ唯一の広宣流布をすすめる和合僧団であるとのこと。


9、十界論、三証、信行学、三障四魔、三類の強敵、宿命転換(日蓮真蹟に宿命の用例は存在しない)、転重軽受(法華経ではなく大乗涅槃経の思想)、願兼於業と池田氏の「宿命を使命に変える」という指導。


10、信心即生活。功徳と罰論、諸天善神、異体同心(異体同心についての池田氏の指導)、人の振る舞い、不軽菩薩のこと。


11、創価学会の歴史。牧口氏は神札を拒否。謗法厳戒を初代会長が貫いたことを強調。戦争に対して明確に反対したかどうかは記述されていない。戸田会長の75万世帯折伏昭和32年9月8日の原水爆禁止宣言、翌33年3月16日の広宣流布の模擬試験、池田会長就任、平和文化教育の運動、SGI発足、トインビー対談は人類の教科書等々、賞賛と顕彰、平成25年の大誓堂落成、創価学会常住御本尊のこと、以上。


12、大石寺批判。「法華経の敵を責めてこそ成仏」第二次宗創問題の経緯、法主信仰と大石寺血脈観の批判、御本尊根本への強調、血脈の本義は万人に開かれた信心とする主張、僧俗差別や化儀の悪用への批判、大石寺僧侶の腐敗堕落を批判、以上。





以上が、『大白蓮華』(聖教新聞社)2017年9月の任用試験特集号の43〜118ページのおおよその内容です。まとめるのに時間がかかるかと思ったらものの20分程度で終わりました(笑)。
この任用試験に合格すると創価学会では教学部の「助師」になるわけなんですが、これで「世界最高峰の生命哲学」とか「法華経最勝」とか自信満々に主張して大丈夫なんでしょうか。



生死一大事血脈抄』は真蹟不存で、日蓮真蹟に「血脈」の用例もないのにそのことに言及もなく、信心の血脈というものを学ばせる。
そもそも「転重軽受」は法華経ではなく涅槃経の思想なのにその言及もない。
熱原の法難が出世の本懐の動機となったことを強調しているのに、その出世の本懐が具体的に何なのかについては何も触れられていない。
南無妙法蓮華経は「宇宙と生命の法」であるという不思議な主張。


まあこれらが創価学会の教学の基本なんだそうです。活動家のみなさん、どうぞがんばってくださいませ。私は正直に言うとあまりここから学びたいと思うことが見出せません。







こんな指導なかったですか?





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて今回は昔、創価学会でよく聞いた指導を記憶を頼りに書いてみたいと思います。みなさんも聞いたことないでしょうか。



「他人に言えば愚痴になる。

御本尊に訴えれば祈りになる。」


他人に言うのではなく「祈ろう」ということですね。私もよく題目をあげたものですが、果たしてこれはどんな根拠があったものなんでしょうね。


「感情をぶつけると怨嫉になる。
題目で包容すれば成長できる。」


なるほど。よくわかります。感情をむき出して誰かにぶつけるのではなくて、祈りを根本にして感情を変えていこうということなのでしょうね。けれども池田氏の批判をすると途端に感情をむき出しにして非難中傷をしてくる学会員って結構いると思うんですけど(笑)。


「できないと決めるとできなくなる。
やろうと決めると力が出る。」


言葉としてはとても良い言葉だと思います。ただ創価学会の現場では、折伏とか聖教新聞の営業に人を走らせる言葉として使われたように感じています。


「朝の敗北は一日の敗北。
一日の敗北は一生の敗北に通じる。」


これ、池田名誉会長の指導でしたっけ?(笑)
なんかこういう自己啓発的なフレーズもいろいろ組織で指導されてきましたよね。私も朝はきちんと起きるようにしています。その割に男子部では深夜の活動が黙認されているという。





なんか他にもこんなような指導が創価学会にはたくさんあったように記憶しています。
でもこれらってどこまで日蓮の教えなのか、私にはよくわからないんですよね。












大石寺7世・日阿のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は大石寺貫主法主)で第7世の日阿という人のことを考えてみたいと思います。
というのは大石寺法主の中で、どういう人物なのか今ひとつよくわからないのがこの日阿という人なんですね。



まず大石寺17世日精の『富士門家中見聞』の「日有伝」の項を見てみます。


「一日阿上人、日有師の相伝に云く日時上人の代官なり、応永十四丁亥年三月十日没したまふ、贈上人の事日秀日弁両人は贈官なり、然レども貫主と一同には列せず、(中略)此レ等の例に随順して案ずるに貫主か。」
(富士宗学要集5-257ページ)


大石寺法主の代の前後の繋がりは

第6世・日時
第7世・日阿
第8世・日影

となります。
きちんと法主の7代目に数えられているのですが、ここで日精は日阿を「日時の代官」としています。代官ってどういうことなんでしょうね。つまり一時的な代理の法主だということなのでしょう。
日精はここで日阿について「代官であって正式な法主ではないと考えられているけど、私が思うに法主ではないか」としています。


まずこの時点でよくわからないんですね。
そもそも日阿が法主なのに「代官」であるというのも私にはあまりわからないですし、この日精の『富士門家中見聞』には「日時伝」と「日影伝」の項は存在するのに、なぜかその間の「日阿伝」の項がありません。このことから考えても日精の中で「日阿」は「日時と日影の間の繋ぎ、代官」という存在として理解されているかと思います。


次に大石寺31世日因の『有師物語聴聞抄佳跡』を見てみます。


「日影上人(中略)日時上人に随順し出家学道ス、武州仙波ニ台家を学びて後下野平井園部に弘通し会津実成寺住居すの時日時上人御遷化なり、之によつて日阿代官トシテ当山大坊に居住して日影上人を請す、然ルニ会津雪国ニシテ翌年応永十四丁亥年四月御登山なり、日阿代官老衰病に遭い而応永十四丁亥年三月十日御遷化なり、此に於て天大御相承等柚野の浄蓮に伝えて日影上人に授与す、」
(富士宗学要集1-221ページ)


日阿は日時に随順していたようなのですが、日時の死に伴い、法主の代官として法主に当座します(応永13年6月4日)。
その後、彼は日影を呼ぼうとしましたが、日影は会津の雪国にいたために大石寺に来るのが遅くなりました。日阿は法主当座後、わずか9ヶ月で、応永14年3月10日に亡くなります。日影が大石寺に来たのはその翌月4月のことです。


つまり日影は相承を受ける際、先代の日阿から直接相承を受けてはいないことになります。
興味深いのはこの相承の方法なのですが、日阿が亡くなる前に彼は在家である「柚野浄蓮」という人物に相承と相承箱を預けて、それを日影に伝えるという方法をとっている点です。


これらを読むと、当時に大石寺に伝わっていた相承とか相伝というものは

「相承をとりあえず在家に伝えることも可能」
法主から次の法主へ相承する際に直接会わなくても可能」

という推論が成り立つことになります。






もはや論外の教学レベル。







いつもありがとうございます。



ところで創価学会の現状を憂えて
「御書根本でいこう」とか
「御書を全編読もう」とか
日蓮の御書をたくさん研鑽しよう」とか
いろんなことを語る方がネットにはいらっしゃいますが、ところでどの御書を学べばよいと思っているのか多くはわからないんです。

まさか創価学会版・堀日亨版の御書を全編拝読すれば、それで日蓮の思想が網羅できるなんて本気で考えているのでしょうか?(笑)


日亨版、いわゆる創価学会版の御書には、掲載されていない日蓮遺文がたくさんあるなんて多くの方はご存知ないんですよね。まさに「井の中の蛙」です。


例えば『戒体即身成仏義』『十王讃歎抄』『八大地獄抄』『不動愛染感見記』『得受職人功徳法門抄』『秀句十勝抄』『三八教』『双紙要文』『今此三界合文』『授職潅頂口伝抄』『当体蓮華抄』『三種教相』身延山御書』『與北条時宗書』『夢想御書』『三部経肝心要文』『色心二法抄』『註法華経』『五輪九字明秘密義釈』『授決円多羅義集唐決』などは読まなくていいんですかね?
創価学会の信仰を長年続けてきた方は、堀日亨版が全てだと思っているので、これらの御書の名前すら知らないという状況です。


また編年体御書にしか収録されていない日興の『原殿御返事』なども、日興門流を自称するのであれば、読まなければいけないでしょう。
日興門流であれば他にも日興筆による『宗祖御遷化記録』や『美作房御返事』も必読でしょうし、他にも日興門流なら『三時弘経次第』『御本尊三度相伝』『御本尊七箇相承』『寿量品文底大事』『引導秘訣』なども読まなければならない文献かと思います。
また大石寺4世日道の『三師御伝土代』は歴史的に最古の日蓮伝ですから、これは必読です。


大石寺9世日有の『有師化儀抄』、妙本寺日我の『化儀秘訣』、重須日順の『表白』『用心抄』『日順阿闍梨血脈』『誓文』『本門心底抄』『摧邪立正抄』、左京日教の『類聚翰集私』、さらに加えて堅樹日寛の六巻抄(『三重秘伝抄』『文底秘沈抄』『依義判文抄』『末法相応抄』『当流行事抄』『当家三衣抄』)と各文段(『開目抄文段』や『観心本尊抄文段』他)は読まなければいけないと思います。


そもそも日寛を絶対視する多くの学会員さんに限って、まともに『六巻抄』一つさえ読んでないんです(笑)。
手に入らないから読まないんですかね? 手に入らなければ、別段そんなに求めなくてもいいんですかね。日寛から教義を決定するならせめて日寛の六巻抄と全ての文段くらい最低限は目を通して普通かと思うんですが、多くの方はそれさえしていない。もはや創価学会の教学力の低下は目を覆うような惨状を呈しています。身延山の僧侶さんのことを笑えませんって。自山の基本的な相伝書さえちゃんと読んでないんですから(笑)。あまりにもお粗末な教学レベルはもはや笑い話です。


そもそも鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』さえ、多くの法華講さんも学会員さんも全編の通読さえできていないではありませんか?(笑)
だいたい鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』はサンスクリット原典と多く相違していますので、サンスクリット原典からの直訳か竺法護訳の『正法華経』を読んで研鑽する必要もあるでしょう。
それさえできていないのに、法華経根本の団体なんて言えるのでしょうか? 試しに薬王品の内容とか方便品の世雄偈の内容とかを法華講さんとかに聞いてみると、何も答えられませんから、法華経さえまともに通読できていないことが如実に明らかになります。



「御書をたくさん読まなければいけない」なんてネットでいろいろ言ってますけど、そもそもどこの御書や遺文集を読むんですかという問題になります。まさか堀日亨版の御書を読むことがそのまま日蓮の思想を読むことだと思っているのでしょうか?(笑)


手に入る遺文がなければ読まないんですかね。自身で新しい御書をきちんと編纂するくらいのことさえできない教学レベルでいいんですかね。法華経の内容さえ知らないというレベルでよいんですかね。


現今の末端組織における創価学会員さんの教学レベルは基本論外だと私は思います。







財務目標の下方修整とモバイルSTB。





いつもありがとうございます。


さて創価学会組織の活動家の方から連絡がありましたので、早速書いてみようと思います。


現在、財務の申し込みの時期なんですけど、なんでも今年の財務の申し込みは「目標数が厳しくない」のだそうです(笑)。
私も記憶はありますが、普通「財務」というと各地区や各支部できちんと目標数があり、「誰それに広布部員になってもらう戦い」なるものをやっていました。申し込み用紙はたくさん地域組織に回ってきまして、書き間違いをしてもいくらでも代わりの紙をくれたものです。


ところが、この方の情報提供によりますと、広布部員の目標数は昨年と同じで構わない、さらには転出や死去等で目標数に届かなくても基本的に「お咎め無し」とのこと(笑)。
さらには昨年の数で申し込み用紙の枚数が配布されていますので、書き損じた場合は代わりがないので訂正印で対応するそうです(笑)。


信濃町もついに守りに入ってきたのでしょうか。まあ少なくとも目標数で活動家が煽られることがないというのは、活動家にとってはありがたいことのように思いますね。



加えて興味深かったのが、モバイルSTBについてです。インターネットの無線LANを経由してどこでも創価関連の動画を見られるというシステムですが、これが「地区1台」の配備だったのが、今後「地区2台」の配備に変わるそうです。さらに打ち出しでは将来的には「ブロックに1台」の体制になるんだそうです。


以前から「モバイルSTB個別販売」が次の信濃町の戦略になることを推察していましたが、それに近づいている印象を受けます。
ちなみにモバイルSTBは故障した場合も修理ではなく、新品交換で対応するそうです。